海老原宏美さん「でも私は地域にいたいんです」

 年末年始の特別番組期間中に、Eテレの『バリバラ』をみていて、ある人の発言に、え、こんな人がこんなことを言うんだ、と衝撃を受け、この人はどんな人なんだろう?と強くひきつけられたことがあった。元農水事務次官による長男の殺害をテーマに語りあう中で、一人の呼吸器をつけた車いすの女性が、「やまゆり園」の話へと話をふくらませ、「植松容疑者がなぜあんな行動に追いやられたかを考えないと」というようなことを言ったのだ。その人は、海老原宏美さんという人だった。

 

 番組後、実際に少し検索して知った、この人の話のなかで、これは重要な話だ、と思ったもののリンクを、備忘録的に貼っておこうと思う。

 

  この記事は、全文重要だと思った。そのなかでもこの視点は特別だなと思ったのが次の箇所だ。

  あの事件が起きたあと何が変わったかというと、一番思ったのは何も変わっていないということかなと思います。変わったことと言えば、重度障害者という人達が集まる施設があって、そこに障害者がたくさんいるんだということが世の中にちょっと広く知れたということですね。

 でも障害者の命の価値を考える機会にはなっていないし、植松容疑者が本当に狂った人で、あんな危ない人を野放しにしておけないから、精神科病院や刑務所に早く入れてほしいと思う人が多いんでしょうね。危ない人、よくわからない怖い人をどこかに隔離しておいてほしいというのは、重度障害者の人は接し方もわからないし、ケアも大変なので施設に入れておいてほしい、という考え方と全く一緒なんです。

 そういう負のループというか、人手もお金もかかる重度障害者という人がいて、その人達の間で起きた事件というように、ちょっとどこか他人事な受け止め方が多いのではないでしょうか。国民一人ひとりが自分にとってどういう影響があるかと、自分に結びつけて考えていけていないんじゃないかなと思います。

 

 

  この記事では、次の箇所が重要だと感じた。

  高校時代の友人たちも子を産む年代になり,当然障害児が産まれることもあります。すると「学生時代海老原さんと一緒に過ごしたからか周囲や親がいうほど別に自分はショックじゃなかった」というんです。「大変かもしれないけれど,その子の存在を否定せずに,一緒に生きていこう」とすぐ切り替えられたというんです。
「障害を持った人と共に過ごす」,これは世代を超えて影響することが今になり分かってきて「自分がやってきた日々はむだじゃなかったかな」と。

 

 

http://k-son.net/wp-content/uploads/2017/04/sska121_010.pdf

SSKA頸損 No.121 2017 年 4 月 22 日発行 小池都知事への手紙が問うていること
編集部 菊地敏明(まとめ)  海老原さんの手紙(全文)

 

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