財政を家計に例えるなら…

 ブログを始めることにしました。
 さっそくですが、財政を家計に例えるなら…というのを、私なりに考えてみました。財政を家計に例えるなら…というのは、朝日新聞の十八番なんですが、いつも何だかなあと思うので、対抗して考えてみました。
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 ある大家族がいます。この大家族は、家族みんなを働きやすくしたり、安心して暮らせるようにしたりするための仕組みをつくっています。この仕組みにお金がいるので、みんなでお金を出しあうことにしています。

 この大家族のみんなには、お金になる仕事とあまりお金にならない仕事が割り当てられることになっています。でも、家族のみんなは、それは仕方がないと考えています。だって、頑張る人がお金になる仕事をするようにすれば、みんな頑張るもんね。
 それで、この大家族には、とてもお金持ちな人と、生活が苦しい人がいます。なかには、借金をしている人もいます。

 さて、この大家族に大問題が発生しました。家族のための仕組のお金が足りなくなったのです。というか、大借金です。だから、「出しあうお金をもっと増やして、借金をなくそう」と主張する人が出てきました。「自分たちが生きている間に借金を返さないと、無責任だ」という人もいます。

 ところで、この大家族は借金まみれなのかというと、世界でも稀なお金持ち家族です。
 え? でも、大借金なんでしょって? いえいえ、家族のための仕組みが、大借金なだけです。
 言っている意味が分からないって? う〜ん、つまり、家族の仕組みのために、家族のなかのお金持ちの人に、お金を借りているんです。利子付きで。家族全体では、世界でも稀なお金持ちです。

 じゃあ、もう借金をちゃらにすればって? 家族でしょって? お金持ちの人は家族のための仕組みのおかげでお金持ちなんでしょって?
 そうですね。それもいいかもしれませんね。

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 ご意見くださいませ。

そもそも

 今、財政危機とか金融危機とか騒がれているけど、そもそも、財の生産やサービスの提供が止まったり減らなければ、本当は問題ないはずなんだよね。で、本当は、お金とか金融とかなくても資源と労働力さえあれば、うまく工夫すれば、財の生産やサービスの提供は止まることも減ることもないんじゃないかな? どうなのかな?
 これって、資本主義とかそういう問題なんだろうね。これぞ経済の問題!なんだろうね。

スポーツについて思うこと

 スポーツが規範と結び付くのって、すごく危険だと思う。
 スポーツって、現実の中に、ある意味バーチャルな世界を作り出して、現実では体験できない(あるいは体験できてはならない)ものを、体験できるっていう側面があると思う。 へたに現実の中で体験できるから、そこで体験できるようなことこそ、真実、価値あるもの、みたいにとらえて、そこに必要な態度・規範を、本来の現実世界に持ち込み、周りをまき込んでいくような人たちっていると思うけど、危ないと思う。

 どういうことかというと、まず、スポーツって、勝ち負けをはっきりさせるとか、敵味方を分けるとか、ルールをはっきりさせるとか、複雑でいろいろな事情のある現実の社会では、そんなにすっきりさせられないことをすっきりさせた、仮想の現実の上に成り立っているって側面があるということ。
 それから、勝利や記録など、目標を所与のものとして、その目標に対して自己を合理的に管理する態度を育む側面があるということ。 これは、「そもそもなんのため?」と問う態度が育まれていないと、案外けっこう危険だと思う。…自分だけでなく他人にも、「○○のためだろ!」と要求するようなことにもなるし。 将来、社会人になって、「会社のため」とか言って、それを社会のみんながやって、社会主義のいう資本の論理による人間疎外、みたいなことにつながる面もあると思う。…勝ち負け思考とか、敵味方思考が広がっていると、なおさら。
 ちなみに、スポーツって、とくに部活が頭にあるのだけれど、部活って、レベルがあがってくると、家族とかまでまきこんで、みんなであらゆる条件を整えて、部活だけに専念!みたいになってくる。多分、体育会系が就職で喜ばれる(まだそうなのかな?)ってのは、その、部活だけに専念!ってのを、仕事だけに専念!ってしてもらえればよい、という理由もあると思う。
 それから、日本の教育現場では、なんだかんだ言って部活が重要で、とくにいわゆる成績的に中間層以下の真面目な子たちの人間形成が、なんだかんだ言ってかなり部活でされているようにみえる。
 それから、日本では、部活や学校行事などで感動したり一体感を味わったりして、それを求めて教師をめざす子が多いから(別にそれ自体は悪いことではないけどね)、けっこう、勝ち負け思考や敵味方思考を無邪気に広げる超熱心な(自分の家庭をまったく顧みないほど超熱心な)先生が多いような気がする。…で、けっこう、こういう先生の態度は、将来先生になる愛弟子に、再生産される。
 それから、そういう人たちって、おうおうにして「プライド」にこだわる。…自称「練習だけは日本一」の部活が全国に大量にあるのは、ある意味その一例。なんか、自分たちがすごくないといけないんだよね。で、おうおうにして、他の人たちを見下すんだよね。

 ちなみに部活だけじゃない。進学校の先生は、自分の生徒が他の生徒に勝って志望校に合格して一緒に感動することをめざすし、実業校の先生は、自分の生徒が他の生徒に勝って就職を勝ちとって一緒に感動することをめざす。けっこう、自分の生徒だけに、スペシャルな、ほんといろんな意味でスペシャルな、方法を工夫しようとしたりしてまで。で、この子が喜ぶ分、泣く子もいるとか、あんまり考えないし、世の中全体として、どういう子がどういうところに本来行くべきかとか、あんまり考えない。これもスポーツ的な勝ち負け思考、敵味方思考じゃないかな、と思う。

 もちろん、これらは極端なモデルを描き出しただけだけどね。

 あと、それから、最近は、巨大スポーツの応援の非日常的な体験に昂揚感を見出して、その感覚を他の場面にも求めたがる人も多い気がするし。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・4(たかまつと平和主義)

 『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない』の第4回である。この回では、平和主義に関連するたかまつの言動についておもに書いていく。

 

 要点から先に述べると、たかまつの平和主義に関連する言動の特徴は、次のようなものになる。

 

  • 自分のことを「どちらかといえばリベラル」「どちらかというと左の考えを持っている」と言いながら、改憲・軍拡に誘導しようとする情報ばかりを、無批判に垂れ流す。しかし、アリバイ作りをするかのように、自ら改憲や軍拡を直接訴えることはしない。
  • 取材やインタビューや論拠が薄っぺらで、その上、チェリーピッキングの臭いが漂う。
  • 政治家とは何を言っているか以上に何をしてきたかで評価しなければならないという、基本中の基本を無視して、9条堅持を主張する人たちを、憲法論議を妨げる勢力として攻撃する。
  • これらを「タブーがない」「アップデート」などの言葉で粉飾しようとする。

 

 以下、目についたたかまつの記事等を見ていく。

 

note.com

 

 この記事では、記事全体をとおして上記の特徴が見られる。加えて、「余命投票制度」炎上のほとぼりが冷めていない時期だけに、そこで抱いたリベラルへの怨嗟も全開だ。noteというホームグラウンドでの記事ということもあり、たかまつの平和主義への態度が最も率直に出ているものだろう。

 

 ちなみに「イデオロギー対立に終止符を打つために」と大仰なタイトルが付いているが、記事のはじめに「私は、右からも、左からも叩かれます」とある。なんのことはない、たかまつの、歪んだ自己認識が原因のストレスに対する、防衛機制のようなものだ。今井絵理子よろしく批判なき政治でも目指したいのか。そんなものは、カネとコネでやったもん勝ちの社会を作ることにしかならないというのに。そしてそれは、今井が示しているように、極めて党派的な態度だ。

 

 話を戻して、日付は前後するが、この記事を先取りして要約しているともいえるのが次のツイートだ。

 

 

  なぜ、改憲を望まないリベラルが改憲草案を作らなければならないのか。意味が分からない。リベラルへの屈折した情念がダダ洩れ、かつ、チェリーピッキングと知識の浅さと論理性のなさと牽強付会が凄まじい、実にたかまつらしいツイートだ。

 

 次のインタビュー記事では、たかまつの商売事情を割り引かなければならない可能性もあるが、自民右派論客として売り出し中の、松川るいプロパガンダの積極的垂れ流しが凄まじい。*1

 

dot.asahi.com

 

 タイトルでは安倍晋三への思いを前面に打ち出しているが、記事の大半が安全保障に関するものである。そこでたかまつは、ひたすら、「…はどうなんですか」と話題を振っては松川に説明させるという役割に徹している。唯一調子が変わるのが次の部分だが、これがさらに酷い。

 

 何で(イギリスの元首相の)サッチャーフォークランド諸島みたいな遠く離れた領土を守ったのか。それは、イギリスという国は、領土、領海、領空の主権を1ミクロンも譲らない、それを示すためだったと思います。日本は「無人島だったらあげるね」という国だと思われること自体がリスクなのです。日本の領土を狙っている国に対しては、日本は自分の国は死んでも守る国ですよ、ということを示さないといけない。尖閣諸島をやすやすと譲るようでは、南西諸島や沖縄もいけるかもと思わせてしまいます。

 

――その危機感をまだ感じられない人も多いんじゃないでしょうか。私も含めて。

 

松川:本当ですか。台湾に侵攻するときはたぶん台湾の背後に当たる与那国は攻撃されるでしょう。与那国が無力化できれば、そこを拠点に、東側から台湾を攻撃するでしょう。当然尖閣諸島も取られてしまう。与那国や宮古、石垣は日本の領土であり、実際に多くの日本人が住んでいます。それを失って本当にいいんですかと。

 

 フォークランド紛争でイギリスは、戦死者だけでも256人もの犠牲を払ったとされる。松川は、そういう国と「無人島だったらあげるね」という国との偽りの二者択一を迫り、日本もそういう国にしようとでもいうのか。そんな質問もしないどころか、「その危機感が感じられない人も多いんじゃないでしょうか」と、さあ、もっと、危機感を煽ってくださいと言わんばかりに話を振る。白々しく「私も含めて」などと言いながら。これのどこが「どちらかといえばリベラル」「どちらかというと左の考えを持っている」なのだろうか。

 

 安倍の話題では、松川に、「私は外務官僚として感じた」という検証困難な理由から、民主党政権をディスらせるだけディスらせ、安倍を礼賛させるだけ礼賛させ、それに対し「じゃあ総理大臣も目指していらっしゃる?」とか、「逆に駄目だったところとか、もう少しこうしてほしかったという点はどこですか」とか、小学生かよ、と突っ込みたくなる質問を返すだけ。これは2022年9月25日付の記事なのだが、統一教会のとの字も出ない。見方によっては、松川にいかがわしさをさらけ出させ、読者の松川の評価を下げさせようとするものではないかとさえ思えるが、さすがにそんなことはないだろう。

 

 次の記事は、タイトルの「祈るだけの「日本の平和教育」」という藁人形論法がまず目を引く。そして、平和主義に関しては、それがすべての記事だ。

 

toyokeizai.net

 

 該当部分を引用する。

 

――ウクライナの方たちは、今度の戦争をある程度予想していたのでしょうか。

いいえ。クリミア侵攻があったのに、多くの人が、ロシアが攻撃を開始した2月24日までは、まさか攻めてくるとは思っていなかったようです。終戦後の日本でも「戦争が始まったと感じたのはいつか」という質問に対して、身近な人が亡くなったり戦争に駆り出されたりして、初めて実感した人が多かったようです。その点は、かつての日本とウクライナも同じで、直接的な被害がないとなかなか実感しにくいのかもしれません。

「戦争を回避するために、どうすればよかったと思うか」という質問にも、さまざまな答えが返ってきました。「ロシアとの間に壁を造るべきだった」「侵攻をためらうような経済大国になっていたら違った」「NATOに入るべきだった」「武器をもっと準備しておけばよかった」など。もちろん現実的なものばかりではありませんが、皆さん一家言持っており、真剣に考えていることがわかりました。

私が日本人ジャーナリストだと名乗ると、「ロシアと隣同士だけど、大丈夫か」「北方領土はどうなるんだ」「気付いてからでは遅いから、その前に準備しておいたほうがいい」などと心配されました。戦争で苦しんでいる人たちから逆に心配されて、複雑な心境でした。

 

――今回の取材を通して感じたことは。

日本も決して例外ではないと感じました。近隣には北朝鮮、中国などによる脅威があり、対岸の火事ではありません。もっと危機感を持って、日本は何をすべきか考えたほうがいい。「防衛費を増やす」「外交を通じて他国と信頼関係を築いておく」「国際社会を味方につける」など、いろいろな意見があると思いますが、1つは民主主義を強固なものにしていくことが大切だと思います。そのためにも、若い人がもっと政治に関心を持って選挙にも参加してほしいです。

 

 見てのとおり、日本の平和教育は祈るだけなどという藁人形をせっせここしらえるような論者に、ウクライナを取材させれば、そりゃこうなるよねという予定調和でしかない。ウクライナをツマに危機感を煽り、危機への備えを「現実的」に考えるように仕向け、軍拡へと誘導する。典型的なショック・ドクトリンでもある。そして、あくまでも誘導までというのが、たかまつらしい。

 

 取材方法にも疑問が付く。たかまつは次のように取材したと語っている。

 

現地に住んでいる日本人にコーディネーターを依頼し、ポーランドからバスで17時間かけて現地入りしました。ウクライナには1週間ほど滞在し、首都のキーウ、近郊のイルピン、ボロジャンカ、ブチャの4カ所でインタビューを行いました。子どもや若者を中心に街頭インタビューを行い、ジャーナリストや政治家なども紹介してもらって30人ほどから話を聞きました。

 

 分からないのは、「30人ほどから話を聞きました」と言うが、それがジャーナリストや政治家などだけなのか、街頭インタビューを含めてなのかということだ。まさか、ウクライナまで行って、1週間ほどかけて、街頭インタビューを含めてわずか30人ほどからしか話を聞いていないとは思えないが、「余命投票制度」炎上騒動の果てに、自らについて、ホームレスをして貧困を経験したなどと語りだしたたかまつの感性と態度なら、その可能性も否定できないようにも思う。それはともかく、こうした街頭インタビューが、極めてチェリーピッキングに好都合な取材方法であることは説明不要だろう。

 

 最後は、記事自体は平和主義とは全然関係ない、たかまつと田原総一朗とのくだらない馴れ合いについての記事からになる。

 

www.daily.co.jp

 

 言葉尻を捕えるが、この記事中にたかまつの次の発言が出てくる。

 

たかまつはひるむことなく「日本は防衛予算と同じくらい、子供の教育にお金をかけなきゃいけない」と応戦した

 

 元旦の番組での発言ということで、首相の岸田が防衛予算倍増を打ち出し、それが当然のことであるかのようにされ、その予算をどう捻出するかが議論のポイントであるかのように語られ始めていた時期での発言だ。OECD比較等において、日本の予算に占める教育関係費の割合は、著しく小さいとはいえ、それでも1%の防衛関係費を2倍した2%よりは、ずっと大きい。それにも関わらず、たかまつのこの発言は、ただの言葉の勢いなのか、知識不足や知識への不真面目さゆえか、大幅な軍拡は当然と思っているからか、それを世論に刷り込もうとしているのか。たかまつのこれまでの言動からも、こうしてゴシップ記事にされる茶番の最中にこんな言葉を吐いたことからも、後2者の疑いも消せないだろう。

*1:それを言えば、当然、たかまつにこんな記事をアウトソーシングする朝日の態度を一番非難しなければならないが。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・3(たかまつと小黒一正)

 『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない』の第3回である。この回では、たかまつが論拠としてあげることが多い小黒一正についておもに書いていく。

 

 たかまつが提案し、炎上させた「余命投票制度」が小黒の論文に書かれたものであることは、第2回(「余命投票制度」炎上に見るたかまつのトンデモ)で見たとおりである。

 

 また、たかまつは、世代間格差が1億円以上あると繰り返し訴え、世代間対立を煽っているが、実はこれも小黒の論説に依拠したものだ。例えば、次のツイートからたかまつの記事に行くと、小黒の名前が出てくる。

 

 

 ちなみに、「世代間格差 1億円以上」でGoogle検索をかけると目につくのも、島澤諭という名前とともに、小黒である。この二人の次には内閣府の試算がくる。

 

 なお、私は、小黒や島澤や内閣府が出した数字自体を否定するものではない。統計とは計測にあたって設定した定義等により数字が変わるもので、彼らの計測方法ではそれが正しい数字なのだろう。そして、計測方法によって変わるものだから、なぜその計測方法にしたのかということと、その計測方法を踏まえた上でその数字にどのような意味づけをするのかということこそが重要になる。そこで問われるのが、科学者としての態度だ。数字を導き出す過程や、数字に意味づけをするまでの過程で、事実をつまみ食いする恣意的な態度がないか。利害や主観によって歪められた論理的飛躍や歪曲がないか。私は、そうした点で、小黒は極めていかがわしい人物だと捉えている。それには、私が小黒を知った、次のような経緯がある。

 

 私が小黒を知ったのは、随分昔になるが、おそらく、2013年の12月に次の記事を書いた時だと思う。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 記事を全文引用する。

 朝日新聞の記事。

『予算膨張、タラちゃん大丈夫? 日本の課題、グラフ解説』
2013年12月24日16時58分
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312240159.html

以下、引用。

 サザエさんに例えましょう。テレビでは波平さんもマスオさんも働いています。これは1970年代ごろがモデルではないでしょうか。今では波平さんもマスオさんも退職し、カツオ君やワカメちゃんが主な稼ぎ手になっているでしょう。

そして遠くない将来、カツオ君やワカメちゃんも退職し、タラちゃんが1人で家計を支えることになります。みんなの老後のためには貯金が必要です。なのに現実には貯金どころか、傷みが目立ってきた家の修理もままならない状態です。

引用ここまで。

解説しているのは、元財務官僚で経済学者の小黒一正・法政大経済学部准教授。

 あのね、政府は国全体じゃないの。だから、財政は家計に例えられないの。例えるとどうなるかは、このブログのトップに置いているエントリーを見てくださいませ。

 

 昔の記事なので、朝日の元記事は既に削除されている。おそらく、会員でなくても無料で読めるところまでを引用したのだと思う。カツオもワカメもタラも結婚したり子どもを授かったりしていないなど、設定が破綻していて、例えとしてどうしようもなく失敗しているが、小黒の、詭弁を用いてでも財政危機を煽りたい強い意思だけは明確に伝わってくると思う。この強い意思を知っているからこそ、私は、小黒がその意思のために、都合よく世代間格差という意味づけをした数字を出し、人びとを煽ろうとしていると考えるのだ。

 

 記事の末尾にある「このブログのトップに置いているエントリー」は、今もトップに置いたままにしている。家族に例えることがなぜ詭弁なのか疑問に思う人は、ぜひ見ていただきたい。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 トップに置くために日付を2099年12月31日にしているが、これは、このブログの初記事である2012年4月8日付の記事を、コピーして置いたものだ。野田政権から第二次安倍政権への政権交代が2011年12月だが、このような記事を書こうと思うようになったのは、記事を書いた時や政権交代より少し前の、野田政権時だったと思う。私は野田政権を、均衡財政に異常にこだわるあまり、一方で消費税増税の三党合意で民主党発足時の公約に反して国民を裏切り、一方で円高・デフレに有効な対策を打てずに経済を疲弊させ、安倍政権が長期政権となるお膳立てをした政権と捉えている。そして、野田政権のそうした方向性を強く後押ししているように感じられたのが、朝日新聞だ。『まだ家計に例えるのね…』という記事は、そのタイトルのとおり、そうした文脈で、小黒よりもむしろ朝日を批判したものだった。トップに置いている『財政を家計に例えるなら…』にも書いているが、財政を家計に例えるのは、朝日の十八番だという印象がある。

 

 ついでに書くと、修正せずにトップに置いたままにしているが、私の例えも、もはや日本の現状にそぐわない部分が出てきてしまっているように思う。それが「家族全体では、世界でも稀なお金持ちです」という部分で、この約11年で、急速にこの例えがそぐわないものになってしまったように思う。

 

 小黒の話に戻ると、とはいえ、この朝日の記事で、小黒の名前は、強く印象に残った。それは、小黒のことを、この記事の例えとその経歴から、原発事故後に、日本を55基の原発というエンジンで飛ぶ飛行機に例えて、原発を止めることに対する人びとの危機感を煽ろうとした、奈良林直という人物と双璧をなすトンデモ御用学者と認識したからだ。奈良林は東芝を経て北海道大教授という経歴だが、小黒は大蔵省を経て法政大准教授(当時)という経歴だ。学界に強い影響力を持つ組織の人間が、通常の学界の階段を踏まずに教授や准教授となり、その権威を利用しながら、出身組織のためにマスコミなどで非科学的な主張をして世論を誘導しようとすることがある。あの事故の後に、奈良林によってそうした姿をまざまざと見せつけられたのは衝撃だった。なので、朝日での小黒の言動を見て、ああ、ここにもいるのかと思ったのだ。御用学者という言葉は、その用法からあまり使わない方がよい言葉になってしまっているが、この二人などは、本来、トンデモ御用学者という言葉に実に相応しい人物だと思う。

 

 その後、実は、奈良林のことは、そんな言動をした学者がいたということは覚えていたが、名前は忘れてしまっていた。その名前を見ることがなくなったからだ。一方、小黒については忘れなかった。それは、その後も継続してその名前を見ることがあったからだが、そうしたことで、小黒を知った時の印象が強まることはあっても、覆されることはなかった。小黒とは、人びとを詭弁で煽り、小さな政府へと誘導しようとするトンデモ御用学者であるというのが、私の一貫した認識だ。この朝日の記事だけでは、強硬な財政再建論者であるといえるだけで、小さな政府論者であるとは限らないではないかと言われるかもしれないが、元大蔵省という経歴からも、消費税増税社会保障の切り捨てとによって所得再分配機能を弱めることで、財政再建を図ろうとする論者だろうと考えるのは自然なことで、実際、その後目にした小黒の論説は、そのようなものばかりだ。たかまつが炎上させた「余命投票制度」などはその最たるものであるし、階級格差はなおざりにして、ことさら世代間格差を強調することもそうだ。

 

 さて、たかまつと小黒との関係だが、私がたかまつのことを知ったのは、小黒の例えを批判する記事を書いた2年半ほど後に、次の記事を書いた時である。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 全文を引用する。

 

 参院戦も近づき、18歳に選挙権が与えられて初の国政選挙ということで、若者向けの選挙キャンペーンも熱を帯びてきた。朝日新聞も、その流れにのった記事をいくつかあげている。そのなかで、これはちょっと有害だなという記事をみつけた。なんか若者に投票を呼びかけるキャンペーンで、世代間対立をいたずらにあおるものが目立ってきているが、この記事も、タイトルをみて、またかと思わされたし、読み始めて、さらに詭弁まで使ってそれをしてやがると思ったんだけどね…。…いつものことだけど、マスコミの「分かりやすい説明」って、たいてい詭弁だよね。…それはさておき、さらに読みすすめると、これ、朝日18番の悲惨な詭弁による「財政再建厨」キャンペーンじゃねーかって、心底むかついた。性質の悪いステマ。有害。若者のリテラシーをあげる気なし。

 それが、次の記事。

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『18歳が知った「シルバー民主主義」 無関心の怖さ納得』
吉沢龍彦 聞き手・仲村和代 田渕紫織 2016年7月3日05時05分

http://www.asahi.com/articles/ASJ714JGXJ71UPQJ00F.html?iref=comtop_8_07

 18歳、19歳の選挙デビューに向け、いろんな試みをしています。「お嬢様芸人」たかまつななさんの「せんきょの学校」をネット中継し、18歳のシンガー・ソングライター井上苑子さんに今の思いを聞きました。高校生の発案によるフォトコンテストも開催中です。政治のイメージをポジティブなものに変えようという試みです。

■「投票行かないと…」シミュレーションゲーム

 18、19歳の有権者がどれだけ参院選の投票に行くかに注目が集まっています。過去の選挙では若い世代ほど投票率が低い傾向が出ています。ちなみに3年前の参院選では、20代は33%、30代は44%、40代は52%、50代は62%、60代は68%でした。

 若い世代が投票に行かないと、どんな影響があるのか。Voice1819の一環で、テレビ番組などで売り出し中の「お嬢様芸人」たかまつななさん(22)の、笑える政治教育をネタにした「せんきょの学校」を動画配信サービス「ツイキャス」でネット中継しました。生徒役として18歳、19歳を代表して、大学生シンガー・ソングライターましのみさん(19)と、ジャニーズの嵐の大ファンという専門学校生さとえりさん(18)が参加しました。ツイキャスで録画が視聴できます。

 たかまつさんが始めたのは、「逆転投票シミュレーションゲーム」。「50歳以下の選挙権は廃止する」という政策に賛成か反対か、投票で決着させようというゲームです。

 その場にいた記者を含め、18歳高校生、20代会社員、40代主婦、60代会社員、80代高齢者という役割に分かれた5人が投票します。50代以上は自分たちの利益が膨らむであろう「50歳以下の選挙権廃止」に賛成し、50歳未満は反対します。

 人数だけなら、3対2で反対多数です。でも、実際の社会では年代ごとの有権者数が違います。その実勢に合わせて80代には40点、60代には90点、40代には90点、20代には60点、10代には10点を与えます。点数の合計だと、賛成130点、反対160点と、なお反対が優勢です。

 ここで、たかまつさんが尋ねました。「でも、みんなが投票に行くでしょうか」

 「あっ!」「そういうこと?」。生徒からつぶやきが漏れます。

 10代の投票率はまだ分からないので、仮に50%としておきます。それ以外は過去の選挙での実績を当てはめます。20代30%、40代50%、60代70%、80代60%として先ほどの点数にかけ合わせると――。

 賛成87点、反対68点。賛否が逆転し、むちゃくちゃな政策が通ってしまいました。

 「これが実際の世の中で起きていることなんですね」とたかまつさんは解説します。さらに、舞台に立つ時に客層を見て受けそうなネタを選ぶと自分の体験を話します。「政治家も客層、つまり有権者を見て政策を変えて当然ではないでしょうか」と話を締めくくりました。

 少子高齢化にともない、高齢者層の政治への影響が強まることは「シルバー民主主義」と呼ばれます。実際、日本で1人が一生の間に政府に払うお金(税金など)と、政府から受け取るお金(年金など)の収支は、年代ごとに大きな差があると言われます。60歳以上は4千万円のプラス、20歳未満は8千万円以上のマイナスという試算があることを、たかまつさんは紹介しました(小黒一正・法政大学教授の試算)。

 もちろん現実の政治は、世代間でいがみあい、税金を取り合っているだけではありません。お互い力を合わせ、支え合い、よりよい社会を作っていくことが大切です。

 そのためにも、まずは投票に行くことが大切――。これがたかまつさんのメッセージでした。

 「深い……」と授業中につぶやいていたましのみさん。「私だけでなく、まわりを巻き込まないと。みんなで選挙に行こうと呼びかけます」と話しました。

 さとえりさんもこう言います。

 「政治や選挙に関心を持たないと、ほんとコワイんだなって思いました。自分だけがそう思っていても仕方がないので、友だちも誘って投票に行きます」(吉沢龍彦)


≪続きの引用は省略≫


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…あのさぁ。なにが、「深い……」だよ。申し訳程度に、「もちろん現実の政治は、世代間でいがみあい、税金を取り合っているだけではありません。お互い力を合わせ、支え合い、よりよい社会を作っていくことが大切です。」なんて、優等生なこと言っているけどさ。。。その前に、「これが実際の世の中で起きていることなんですね」なんて、断定調で言って、そんなんにはじめて「深い……」なんて言うような「若者」たち誘導しておいて、そんなん言っても、そりゃあんまり意味ないでしょ。とはいえ、そこはまだいいよ。確かに、そうでもして関心を呼び覚ます必要もないとはいえないし、いちおう、申し訳程度のことは言ってるしさ…。

 でも、これに、よりによって、「財政再建厨」くっつけるか?! 元財務官僚、あえてこの言葉を使うけど、御用学者、小黒一正だぜ! 小黒については、これ↓を参照ね。

『まだ家族に例えるのね…』
http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20131224/1387895160

ああ、小黒が世代間格差のことを言っているのは、まだいいんだけどね。ただ、これ、社会保障切り捨てのステマだよね。本当の格差のことじゃないよね。いや、小黒や朝日が、高所得者や資産家の負担を求めつつ、社会保障のなかでも元高所得者や資産家の社会保障の切り捨てだけを求めるってんなら、そりゃ、すばらしいけどさ。どうせ、こいつらが気にしているのは、自分たちが安定してラグジャリーに生きれるシステムの維持だけでしょ。


 こんな「主権者教育」より、今、若者に一番求められているのは、資産家やマスコミや金融機関や大企業エリートの人間なんかの生活がどうなっているのか、いっぽう、例えば、非正規の若者や、福祉関係の職につく若者たちの生活はどうなっているのか、そういう現実をまざまざと直視させること、そして、それが「政治」によってつくられるシステムの上に成り立っているということを知らせること、それこそが絶対に必要だと思うけどね。

 

 この朝日の記事も、6年半以上も前のものなので、既に削除されている。たかまつがこうした活動をいつ頃はじめたのかは確認していないが、朝日の記事に「テレビ番組などで売り出し中の「お嬢様芸人」たかまつななさん」とあるので、少なくとも本格的に活動しはじめたのは、この頃ではないかと思われる。その頃から既に、たかまつは、学者である小黒の権威を梃子とする誘導を行っていたのだ。それを今もなお続けているだけでなく、新たにトンデモな「余命投票制度」を小黒に代わって提案してもいる。たかまつの主張が、小黒の論説に、異様なまでに強く結びついていることが分かる。そういえば、6年半前の記事の「20代30%、40代50%、60代70%、80代60%として先ほどの点数にかけ合わせると――」という下りなどは、「余命投票制度」を彷彿とさせる。それはともかく、まるでたかまつは、小黒の論説の、若者への刷り込み担当であるかのようである。

 

 上に書いたように、私はもともと、財政再建厨で、人びとを小さな政府に誘導しようとする朝日を批判していて、次いで、そんな朝日を御用学者としての利害からトンデモな詭弁で援護しようとする小黒を非難するようになった。なので、この記事を見た時には、今度は、若者向けに「分かりやすく」誘導するために、こんな人間を出してきたかと、なにより朝日に腹が立った。なので、批判の矛先も、たかまつよりは、朝日や小黒に向けた。それは上の記事を読んでいただいても伝わるのではないかと思う。

 

 しかし、今となっては、たかまつに対する認識が甘かったと思う。こんな人がいるんだ程度に思っていたたかまつが、先の参院選前には主要新聞に幾度も登場し、一方で代表的な主権者教育の講師として全国の学校を巡業している。そして、たかまつが垂れ流す情報の悪質さは増している。だからこそ、上の私の記事で朝日や小黒に向けた批判を、改めて、たかまつに強く向けなければならない。たかまつの例えやゲームといった「分かりやすい」手法は、分かったつもりにさせて本質から他のものへ目を逸らさせる詭弁だ。たかまつが論拠とする小黒一正は、いかがわしいトンデモ御用学者で、それを権威ある学説であるかのように垂れ流す手法は、詐欺的な手法だ。そして、たかまつは、なんのことはない、これらの刷り込みによって、若者を小さな政府へと誘導しようとするハーメルンの笛吹きだ。それを理解した上で、たかまつを「主権者教育」の講師として呼ぶのか判断していただきたいと願うものだ。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・2(「余命投票制度」炎上に見るたかまつのトンデモ)

 一つ前の記事、『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・1(たかまつの「余命投票制度」)』の続きである。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 当然のことながら、たかまつの「余命投票制度」への反応は、否定的なものが多かった。それは、次のたかまつ本人のツイートへのリンクを開き、ついたレスを見ていただいても分かるだろう。ただし、あまりにも多くのレスがついているので、少し概観しにくいが。いわゆる炎上である。

 

 

 それにすぐに気づいたのか、たかまつは、このツイートのわずか18分後から、それらに反論するツイートを立て続けに3つしている。次のとおりである。

 

 

 

 

 18分で炎上したとは考えにくいので、否定的なレスがつきはじめたかなり早い段階で反論しはじめたのだろう。自ら他人を煽ることを言っておきながら、それが批判されると、こうも反射的(たかまつは批判者を攻撃するために「条件反射」という言葉を使っているが、反射的なのはたかまつの方こそである)にこういう反応をする。たかまつが、その柔和なキャラ作りとは裏腹に、極めて感情的・攻撃的な側面を持っていることが分かる。炎上したというより、自ら火に油を注いだともいえる。

 

 そして、これらの反論は、なんら反論になっていない。たかまつは「私が出た番組や記事を見たり、研究者の論文検索したりというのを少しはやっていただきたいな…と思います」などと言うが、もちろん多くの人は記事は見ただろうし、それで説得されるものがなければ、50分もある番組を見ろ、研究者の論文を検索して見ろ、さもなくば批判するな、などというのは、かなり傲慢だ。「CiNiiのワード検索かけたリンクはっておきますねー」と、いわゆるマウンティングまでしている。「若者」の代表らしさのアピールでもしているのだろうか。若者にもいい迷惑だろう。…たんに「地が出た」だけというのが妥当な線だろうが。「生涯を通して、ポイント数は同じなので、平等だという考え方です」と言うが、個人的にも社会的にも先が読めない、生涯というものを通して平等だという考え方が、そんなに都合よくできるとはにわかに信じがたいし、それ以前に何を言っているのか分からない。そもそも、論点は1回の選挙ごとの平等であって、生涯を通しての平等などではない。論点を逸らしているだけであって、なんら反論になっていない。そして1回の選挙ごとの平等という論点では、たかまつは、18歳と100歳の一票の重みに82倍もの格差をつけよう、それこそが正しいと強弁しているのである。

 

 なお、たかまつがあげた論文のリンクから論文の著者名を見ると、小黒一正という名前があるが、この人物がまた、詭弁を弄して世代間対立を煽る論者の代表のような人物である。それについては、続きの別の記事で書くことになると思う。

 

 これらから、たかまつが極めて論理を蔑ろにする、または、極めて論理に弱い人物であることが分かる。まあ、その両方であると考えるのが妥当だろう。また、「記事を読め」「番組を見ろ」「論文検索サイトを見ろ」「論文を見ろ」と言いながら、そこにどんな反論があるのか、どんな評価がされた論文がどの程度あるのかを、何ら言わず、マウンティングまでする態度からは、極めて事実(証拠)を蔑ろにする、延いては弄ぶ人物であり、卑怯な手段も辞さない人物であることも分かる。

 

 ここで、「主権者教育」について話をすると、「主権者教育」では一般に、「中立」であることが求められる。そして、中立とは、価値観を除いた論理と事実によって成立するものである。よって、かくも論理と事実を蔑ろにするたかまつは、「主権者教育」の講師として極めて不適当な人物と言わざるを得ないのではないか。それだけでなく、感情的・攻撃的な側面を持ち、持論にこだわり、その強弁のためには卑怯な手段も辞さないとなると、なおさらだろう。

 

 さて、この炎上はすぐには収束せずに、しばらくくすぶり続ける。それは、たかまつ自身が断続的に、自らにくすぶる感情を吐き出すツイートをしたことにもよるだろう。そうしたツイートを、時系列順に見ていく。

 

 

 いや、そもそも、たかまつが喧伝するほどシルバー民主主義というものがあるのか、若者政策というものが選挙の争点になりにくのかという前提について、小黒一正の論による一点突破などではない、丁寧な議論が必要なのだが。

 

 

 これは相手の言動をを歪めた上で叩く、藁人形論法という典型的な詭弁であるし、自らの言葉を粉飾して誤魔化す行為でもある。世代間格差に目を向けたから炎上したのではなく、高齢者の一票の重みを著しく軽くする提言をしたから炎上したのだ。あるいは、世代内にも格差はあるし、世代間格差もまた世代内格差と結びついているというのに、ことさらに世代間格差だけに目を向けることを煽るから炎上したのである。また、ここに見られれるたかまつの態度は、「皆さんもどんどん提案し議論できたらうれしいです!」などと言いながら、その実は、自らが批判されていることには一切耳を傾けない、「あーあーあー聞こえないー」だ。

 

 

 藁人形論法や、自らの言葉の粉飾、「あーあーあー聞こえないー」はこのツイートでも同じだが、たかまつに向けられた暴言に対する抗議には、ある程度正当性があるだろう。ただし、たかまつがしたことの暴力性やトンデモさを考えれば、たかまつがスクショした言葉は、「クズ」、「こんな女」という言葉を除いて、おおむね許容すべき揶揄や非難だとも思うが。そういえば、この騒動が始まった頃から、たかまつに対する優生思想に絡めた批判が少なからず見られるが、たかまつは、この「たかまつなち」を除いて、それらすべてをスルーしている。真っ向から組み合うとまずいことが分かっているからだろうか。ついでだが、「姨捨なな」という揶揄も見たことがあり、個人的にはこれと「たかまつなち」はとても壺に嵌った。たかまつのツイートに戻るが、バッシングされると訴えることが、批判を封じるための手段として用いられることがあることにも注意が必要である。いわゆる被害者を盾にする行為の一種である。実際、この後さらに見ていくと分かるように、たかまつはこの卑怯な手段を多用するようになる。

 

 

 それこそ、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言うべきところだろう。…それで、高齢者の選挙権を著しく制限するという提言のどこが、「解決策がベストではない」と言うべき代物だと言うのだろうか。そんな話は一切しない。ひたすら論点逸らしだ。

 

 少し間があいて、この2日ほど後に、比較的著名な人にも同様のレスをしている。

 

 

 山口二郎にあえてレスをつけたのには、何らかの意図があるのだろうか。

 

 

 これは山口のことを指しているのだろうか。少しツイートをたどってみた範囲では分からなかった。しかしまあ、自らが高齢者一般を誹謗中傷する言説を垂れ流し、その選挙権を制限する提言までしたことを棚に上げて…。

 

 この25分後に、たかまつは、この流れとは少し別の流れになるが、若者に投票を呼びかける次のツイートをする。

 

 

 この動画は、見る気がしないので見ていないが、ついたレスやサムネイル画像から、高齢者を侮辱するような動画だと推測される。レスやハッシュタグから辿れるツイートを斜め読みしたところ、どうも3年ほど前にたかまつの会社が作成した動画で、外国の動画のパクリらしい。「誹謗中傷は本当にやめてほしい」「目の前に人がいることを想像して書いて下さい」と書いたその指で、25分後にこの動画をあげるとは、いやはや…。

 

 このツイートには、批判的なレスが多くつき、騒動の発端となったツイートと同じくらいになっている。炎上の炎が再び燃え上がったということだろう。そして、翌日のツイートで、その炎はさらに燃え上がる。

 

 

 嘘つけ。高齢者の選挙権を制限しろと言っているではないか。こうして嘘を混ぜながら、批判封殺メソッドを用いてくる。世代間格差という言葉を、その内実を掘り下げずに刷り込もうとしてさえいる。端的に言って卑怯だ。炎上も当然だ。

 

 

 差し詰め、ここはさすがに、申し訳程度にこう言わねば、といったところか。

 

 ひるがえって、たかまつは、しつこく「若者のためにどうすればいいのですか?」「子どもたちのためにどうすればいいのですか?」と言っているが、たかまつにそう言われたような人たちも、例えば山口二郎でも、多くの人たちは、この程度以上のことを若者たちや子どもたちのために言っているのではないか。それこそ、たかまつに、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言わなければならないところだが。もちろん、たかまつのように、若者のために高齢者の選挙権を制限しようという、テロリスト的な熱意までは見せていないだろうが。

 

 

 まだ言うか。厚顔無恥の大嘘つきめ。

 

 そして、収束しない炎上についに我を失い、取り乱したのか、たかまつが新たなトンデモを繰り出し、それも炎上する。

 

 

 このトンデモさは説明不要だろう。あるいは、ポカーンとか、アボーンとか表現すべきか。

 

 

 はい、藁人形論法。どうぞ、「私の生い立ちや経歴をバッシングしてくる人」を屏風から出してくださいませ。そして、出た、批判封殺メソッド。差し詰め、このトンデモで、可哀想な被害者ポジションをとり、批判封殺メソッドのツマにでもしたかったのだろう。しかしまあ、本当にそれが微塵でも通用するとでも思ったのだろうか。頭が痛い。多様な価値観を認め、自由な言論を大切にする立場の人が、高齢者の選挙権を制限する提言を批判するのは当然だ。それを「叩きのめす」とまたまた藁人形論法。つくづく卑怯だ。

 

 

 はいはい、藁人形論法。だから、どうぞ「私の生い立ちをバッシングする人」を屏風から出してくださいませ。

 

 

 

 比較的著名な人から批判されたからか、自分の誤りを認められない性格なのか、まさしく妄言に妄言を重ねてくる。当事者に失礼なのはどっちか。人の話を切り取って、貧困に苦しむ人をさらに追い詰める話に変換しようとしているのはどっちか。そもそも、そんな話をしなければならない状況を作り出しているのはどっちか。もはや、そう思うなら、お前が黙れと言わなければならない。池田香代子も実質同じことを言っているが。被害者を盾にする卑怯な批判封殺メソッドを多用した結果、当然の報いを受けた形だろう。

 

 そして、こんなおまけまでついてくる。

 

 

 

 はてさて、本当に「誤字」なのか。もはや、これも極めて怪しく思えてくる。本当に「誤字」であっても超ド級のトンデモなので、そうでない場合のトンデモさが薄れてしまうのが、いやはやなんともだが…。だいたい、駅のトイレで寝泊まりできるのかよ。警備の目をかいくぐって。

 

 

 これで、約1週間続いた、たかまつの「余命投票制度」騒動はようやく終息した。ちなみに、少し労力を使って、ここから現在までのたかまつのツイートを斜め読みしてみたが、たかまつがこれらを考えたり取材したりした答えはまだ語られていないように思う。高齢者の貧困について取材した形跡も見つけられなかった。参院選の3日前に、性懲りもなく次のツイートをしてはいるが…。

 

 

 あと、記事の中ほどで見た、高齢者を侮辱していると推測される、若者に投票を呼びかける動画も、参院選の1週間ほど前にもツイートしている。つい最近も、1月18日にツイートしている。

 

 あと、他にも最近では、こんなツイートもしている。

 

 

 「半年ぐらい」―つまり、この炎上の後ということだろう。この、被害にあって沈んでいたが、田原のおかげで頑張れるみたいな言い草は、やはり、自分のしたことと真摯に向き合って考える気はないということだろう。

 

 田原との経緯については、別の記事で書くことになるかもしれないし、ならないかもしれない。一言で言えば、くだらない馴れ合いだ。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・1(たかまつの「余命投票制度」)

 「主権者教育」というと、割とすぐに思いつく名前が、たかまつななではないだろうか。18歳選挙権が導入された2016年頃から、若者の立場に寄り添って投票を呼びかける活動を行っている人物としてマスコミで取り上げられるようになり、全国各地の学校で講師として講演を行っているようである。地方(山口県)在住の私も、たかまつが高校で講演を行ったことを、地元のニュースで見たことがあるように思う。

 

 しかしながら、私は、たかまつはこうした講師として呼んではならない人物だと考えている。それは、たかまつが、若者たちに、親しみやすい雰囲気で中立の立場から、自ら考え、投票することを訴えかけているだけであるかのように装いながら、彼らに、党派性のある特定の方向性の政策へと誘導するいかがわしい情報を、刷り込もうとするからである。それも、詭弁を弄しながら。その方向性とは、一言でいえば、いわゆる「改革路線」ということになるであろうか。

 

 たかまつのこうした傾向や、時にみせる卑怯さ、厚顔無恥さはツイッターやブログ等で政治的な話をする人の間ではけっこう知られたことだろう。それゆえ改めてそうする必要性が感じられないせいか、たかまつへの警戒を呼び掛けるまとまったブログ記事を見かける印象がない。しかし、「主権者教育」となると、それを実際に企画するのは、ふだんから「政治性のない態度」を実質的に課され、それを内在化している人も多い、教員や公務員などの教育関係者である。そうした人たちが「主権者教育」を企画する際に、たかまつを講師として招くことが検討されたとしても、それを思い止まらせることになるものが、ある程度まとまったものとしてあるべきではないか。僅かばかりでも、そうしたことの一助となれないか。これが、これから書こうとする一連の記事の主旨である。どうか、たかまつななを「主権者教育」の講師として招かないでほしい。

 

 こうした趣旨であるので、まず最初に、たかまつのひどさが露呈した騒動から書くのが適当だろう。それが、ABEMAの『NewsBAR橋下』という番組でのたかまつの発言に始まる、「余命投票制度」騒動である。ABEMA TIMESに、番組の当該回について次の記事が残されている。

 

times.abema.tv

 

 しかしながら、どういう訳かこの記事には、

たかまつが「理にかなった案だと思う」と話す「余命投票制度」とは、次の様なものだ

と書かれているのに、その肝心の「余命投票制度」自体の記述はない。橋下徹の発言がなぜか重複して書かれていたりもする。当時のたかまつのツイートにはyahoo!ニュースに掲載された記事へのリンクが貼られていたが、yahoo!ニュースは掲載期間短いので、今は記事が削除されている。そこで、改めて次の番組動画で直接、発言を確認した。

 

https://abema.tv/video/episode/89-77_s10_p177?utm_campaign=abematimes_p2_link_article_photo_10027531_ap_free_episode_89-77_s10_p177&utm_content=10027531&utm_medium=abematv&utm_source=abematimes&utm_term=683079858.1602759673

 

以下、番組動画から、たかまつによる「余命投票制度」についての発言部分(橋下等、他の出演者とのやり取りの部分を除く)を文字起こしする。

 

どう考えても人口比から考えると、若い人は人口が少ないので、もっともっと選挙に行ってくれればもちろん若者の声とか影響力って大きくなるんですけれども、人口が少ないから限度があると思うんですよね。なので、若い人に影響力を持たせるために、一人一票の原則を変えようというものです。ま、日本の平均寿命、例えば100歳くらいまで上がっていくと思うんですけど、私の頃は。で、100歳だとしたら、そこから自分の今の年齢を引いた分を投票のポイントにする。

 

そうしたら政治ももう1年先とか5年先の話じゃなくて、それが50年先の日本の未来とか語っていくと思うんですよね。若い人にむけて、だって、ねぇ、話していかないと通らないので、どんどんどんどん若者政策ってのが増えて行くと思いますし、有権者の人も投票する時に未来を考えると思うんですよね。自分が今何ポイントだというところから。だから投票の質も上がるんじゃないかなと思う。

 

やっぱり若い人の影響力とか若い人の意見が通るとかすごい大事だと思っていて、例えば、日本だと、こう、自分が今70歳だったら、考え方が変わるなって思うこと、私たちもいっぱいあるんですよ。例えば、Uberとか、Airbnbとかって、自分が70歳だったら、そんな新しいものいらないよって思うと思うんですよね。でも私28歳だから、いやUberとか、Airbnbとか世界中でやってんのに、なんで日本はもっと導入してくれないの。でも、それを、ホテル業界とか例えばタクシー業界の人たちが、困ってしまうから、じゃ、やめようと。それは1年後の日本を考えたらいいかもしれないけど、50年後の100年後の未来を考えると、世界から観光客が減ってしまう。それって日本の、あの、経済的にはよくないよねって判断ができると思うんですよね。でも今はそうじゃないから、Uberもやめよう日本では。そんなにされてるってことだと思うんです。

 

これ、だから、移行期間が問題なんですけども、移行期間さえクリアになれば、みんな平等なんですよね。こう、だんだん減っていく訳なので。みんな、なんか、そういう世代間の格差はあるように見えて、一生で見るとないので、そういう意味では、平等ではあるんですけれども。

 

 こうした発言を受けての橋下の発言は、上にリンクを貼ったABEMA TIMESの記事に書かれている。記事から引用する。

 

 橋下氏は「本当に日本を強くしようと思えば、国を動かしている中心メンバーのいる世代に投票権を与えていく仕組みは必要だと思う。僕も50歳を過ぎて、政治的なエネルギーは衰えてきているし、もっと30代、40代に頑張ってもらいたい。ただ、高齢者の側には、“わしらが今まで頑張ってきたから日本はここまで来た。わしらの意見こそ聞いてくれ”という人たちもいる。そこはたかまつさんの案が定着するまでの移行期間、ポイントを上積みしてあげるといった方法を取り入ればできるかもしれない。たかまつさんの案よりももっとラディカルだけれど、政治的に活動できる期間ということで、例えば55歳ぐらいで選挙権を切ってもいいんじゃないのと思う。

 

 これを受けてたかまつは、次のように発言した。こちらは再び番組動画から文字起こしする。

 

 いや、でも、本当にそういうことに近いことが必要だと思いますね。じゃないと、政治が若い人のほう向いてくれないので、私前回の選挙の時に、あの、党首に、すごい、インタビューするっていう企画をユーチューブでやって、で、7政党の党首にお会いして、それで、シルバー民主主義どう思ってますかって言っても、どこもそんなに歯切れがよくないわけですよね。シルバー民主主義解消してください。若者がこの番組見てるんです。どう思いますかって言っても、みんななんか、シルバー民主主義ってのは世代間対立を煽るために作った言葉で、そういう言葉を使うこと自体がよくないんですって言われたりとか。いや、差別はあるんですよ。1億円以上あるってのはデータも出てるのに、そういうこと言われてしまうっていう、なんか、差別があることに対して声をあげるのに、そんな差別言うなって言われるのってすごいおかしいなと思って。

 

 これらの発言で批判すべきことはたくさんある。いや、非難すべきこともあるし、なにを言ってんの?と言うべきこともある。ただ、それらをしなくても、少なくともたかまつが、党派性のない立場から、生徒たちに自分たちで考えることだけを訴える人物などでは到底ないし、人類の多年の努力によって築かれた民主主義の理念から逸脱した主張をする人物であることは分かるだろう。引用が長くなってしまい、記事も長くなってしまったので、いったんここで記事を切ろうと思う。これらの発言に続く騒動については、次の記事で書きたい。

 

 ただ、たかまつの発言を文字起こしした最後の部分についてだけは、ここで確認しておきたい。差別はある、1億円以上あるというが、では現在の高齢者たちは、その1億円を自分たちの世代だけで消費し、あるいは墓にでも持って行くのか(そもそもその「1億円」の根拠に触れられていないことは、ここではおいておくが…)。まさか。それぞれその多くを、自分たちの身内で享受し、身内のために遺していくというのが実像だ。つまりは、これを差別と言うのなら、政府の政策の恩恵にあずかり、より多くを享受し、より多くを身内に遺すことができる者と、そうでない者との格差こそが、差別なのである。政府が後世に残る「借金」をしてまで恩恵を与えたことが差別と言うのなら、その恩恵を受けている者たちからこそ、今すぐそれを回収すべきなのだ。しかるに所得税最高税率は引き下げられ、それどころか株式投資で得た利益には、どれだけ利益を得ようとも20%の税しか課せられない。NISA非課税枠拡大というものもある。孫への生前贈与も教育資金なら非課税という、まさしくこの差別を象徴する措置も、恒久化が企てられている。いっぽうで、借金をして生活を送る者にも課せられる消費税の税率は引き上げられる。これは紛れもない階級対立だ。それを嘘の対立にすり替えるために世代間対立を煽る。たんに煽っているのではなく、階級対立を世代間対立にすり替える。たかまつのしていることは、そういうことなのだ。現にかくも「差別」の解消に熱心なたかまつが、再分配の強化に熱心だという話は、寡聞にして知らない。