山本太郎の選挙戦略から連想して思うこと

 こちらのコメント欄↓でも書いたが、

 

kojitaken.hatenablog.com

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山本太郎が、難病や障害の当事者を参院選の候補者に擁立したことは、そして自分自身の当選よりも彼らの当選の方が制度的に優先されるようにしたことは、山本が、彼らに代表権を与えたいと思った人たちの思いを裏切らない限りにおいて、評価したいと思う。それは、彼らが、尊厳を持ってこの社会で生きていくためにたくさんの社会変革を求めていく必要がある立場にあるにも関わらず、現在、自分たちの代表者を持たないからである。

 

 ただし、こうした人たちが候補者として前面に打ち出されたからこそ、山本に期待を寄せる人たちとの関係で、バランスが悪くなったのではないかと思う点がある。それは、山本の政治団体の要求が、サービスの利用者側からの要求に偏ってしまわないかと思われる点である。

 

 次の記事にあるように、山本には、いわゆるワーキングプアの人たちの一部から、熱烈な期待が寄せられていると言われている(ネット上には、寄付の額などについて、それを疑う声が散見されることを付け足す必要はあると思うが)。


digital.asahi.com

 

 サービスの利用者と対置されるのが、サービスの提供者である。サービスの提供者の側面から社会を階層的に見る時、

  • 資本を所有してそれを運用させることで利益を得る階層
  • 資本を運用したり、商品の開発にあたったり、組織の運営にあたったり、販路の獲得にあたったりして、比較的高額の所得を得る階層
  • 商品の生産や利用者への対応にともなうストレスにさらされながら、小額の所得しか得ることができない階層

の3つの階層に大雑把に分けることができると思う。ワーキングプアとは、もちろん、3番目の階層に属する人たちである。山本が彼らの一部の人たちから熱烈な支持を受け、そのなけなしのお金から寄付をも受けているというのなら、やはり、彼らの思いの象徴たる人も、優先順位の高い候補者として擁立すべきだったのではないか(もちろん、比例代表の候補者に元コンビニ店オーナーや元派遣社員がいて、そうした視点からも一定の評価ができると言うべきだとは思うが)。

 

 ことに、現在、その働きに社会的な要求が高まっている一方で、きわめて劣悪な労働条件が問題となっているのが、介護・福祉職の現場労働者たちである。そして、山本が特別枠として擁立した候補者2人は、彼らが提供するサービスを利用する立場にある人たちでもある。このように考えると、山本の支持者とされる人たちの要求に応えるためには、介護・福祉の現場労働者の声を代表する人も上位の候補者として擁立した方が、バランスがよかったと言えるのではないだろうか。

 

 話をさらに広げると、こうしたことが求められるのは、山本の政治団体に限った話ではないのではないか。政権批判側のすべての勢力が、こうした視点からの要求をもっともっと強く打ち出すべきなのではないか。これは、あの「保育園落ちた!日本死ね!」騒動のことを思い出させることでもある。あの騒動も、サービスの利用者側からの要求によって起きたものであった。ここで、あの騒動について、2つのことに注目したい。1つは、保育園の定員を増やすということ自体は、結局、政権側も含めて、どの勢力にも共通した政策目標に掲げられるようになったということだ(ここでは、その形式主義のことは、とりあえずおいておくが)。そして、もう一つは、あの騒動の最中に、大きく取り上げられたとは決して言えないが、保育士や非正規労働者などの間から、騒動の盛り上がりに対するひがみのような怨嗟の声も聞こえたということだ。

 

 これは、利用者側からの要求は、様々な要求が、少なくとも形式的には、政策として掲げられやすいのに対して、商品の提供者として最下層にある人たちからの要求は、本当はその要求を持つ人たちがとても多く、そしてその要求が切迫したものであるにも関わらず、あまり取り合ってもらえていないことによるものではないか。また、利用者側からの切迫した要求が、当然のことながら、商品の提供者として最下層にある人たちの切迫した要求と必ずしも重ならないことによるものではないか。例えば、保育園を利用する家庭には、ワーキングプアにあえぐシングルマザーの家庭もあるが、高額のダブル・インカムの家庭もあり、ワーキングプアにあえぐ人には、幼い子どもがいる人もいれば、いない人もいるのである。そして、このようなことを考えた時、この社会の政治システムは、この階層を固定化する方向で強固に構築されているのではないか。あらためて、そのように思うのである。