労働組合とフリーライドの問題についての問題提起~~労働組合への公的助成は是か非か~~

  労働組合の衰退が叫ばれて久しい。そして、いよいよその恐るべき最後も近づいているように思える。組合活動には労力とカネがいる。なぜなら、使用者の持つ圧倒的な力に対抗するために、情報収集と理論武装を行い、それに基づいた共通理解と組織的な行動をとらなければならないからだ。そのため、組合の業務だけに専念する専従を置いたり、外部の専門家に仕事を依頼したりすることになり、それらの経費を賄うために、組合員から少なくない組合費を徴収することになる。けれども今、その組合の会計が、組織率の著しい低下により、いよいよ破綻に近づいている段階にあるのではないか。そうなった時に一番心配されるのが、専従として働いてきた人たちの生活保障だ。もともと一組合員であった人が専従になる場合、多くの場合は、組合の規定で、その人のそれまでのキャリアから予想される、平均的な報酬や福利厚生を約束されるのではないかと思う。そして、その範囲は、退職後の年金にまで及ぶのではないだろうか。組合の会計が破綻した時、専従の生活はもともと約束されていたとおりに保障されるのか。されないのならば、専従はどのように身を振ればよいのか。自らの生活への不安を背景に、なんらかの組合への背任的な行動をとる専従も出てこないか。そうした時に、それを組合員たちは非難できるのか。会計が破綻し、専従もなき後、労働者たちは使用者たちとどう戦えばよいのか。これは、一部の大手企業のユニオンショップ制の組合を除き、労働組合にとって、もはや直視しなければならない恐ろしい懸念だと思う。この悲劇的な状況に対するラディカルな対策が求められている。

 

 そこで、その是非の議論を提案したいのが、おそらくこれまで労働組合側にも禁じ手とされてきたであろう、労働組合への公的助成である。組合離れの大きな原因となっていることの一つに、組合に入っていようがいまいが、同じ職場の労働者であれば、組合があることによって得られる恩恵にあまり変わりがないということがある。生活が苦しく忙しいなか、組合に入ると、組合費を払わされ、労力も使わされる。入ると損をするけれども、入らなくても損はしない。そこにあるのは、いわゆるフリーライドの問題だ。それは、組合活動が、公益性があるが市場では解決できない、政府が介入すべき領域の活動であるということも意味する。専従の報酬や福利厚生等の組合活動の必要経費を、公費で助成することで、フリーライドの問題を軽減し、組合の再生につなげ、労働者の生活を改善できないか。政党助成金の発想に倣えば、これも可能ではないか。これが問題提起したいことである。

 

 これは、あくまでも、労働問題の学術書は無論、教科書的な文献さえ読んだことがない素人による問題提起で、少し詳しい人からしてみれば、今さらそんなことをというような話なのかもしれない。あるいは、ちょっと考えたら、そんなことしない方がよいに決まってるだろというような話なのかもしれない。しかしながら、思いつく語句でネットを検索した限りでは、こうした話を見つけることはできなかった。是非を問うこととあわせて、労働組合への公的助成の是非をめぐる議論はあるかということと、あわせて、国内外を問わず、こうした制度を導入した例はあるのかということを知りたい。