転載 (みをつくし語りつくし)勝部麗子さん:2

 第2回です。まずは、登録なしで読めたところまでの転載です。コピペし忘れたようで、記事の日付と署名はありません。

http://digital.asahi.com/articles/ASJ7V4HN5J7VPLZU00B.html?rm=852

(追記)この記事を紹介しているページに画像ファイルがあったので、下にそのURLを付け足します。
http://www.access-town.com/image/free/20160927091500.jpg

■コミュニティーソーシャルワーカー
■無念さ・無力感で涙
 福祉事務所は「最後のセーフティーネット」と言われる生活保護を取り扱うところです。大学を卒業したら福祉の道に進もうと考えていた私は「福祉事務所なら全ての人を支えることができる。社会保障の最後のとりでだ」と信じていました。
現場を知ろうと、大学3回生のとき、大阪市内の福祉事務所で2週間ほど実習させてもらいました。生活保護の相談や申請の窓口業務を見せてもらったり、行き倒れて病院に運ばれて入院している人のもとにうかがって話を聞いて生活保護手続きの手伝いをさせてもらったりして。
 ところが、その福祉事務所では、住まいがない人は生活保護の対象にしていませんでした。それに65歳以上でなければ、高齢者サービスの対象にもなりません。いくら職員が「助けたい」と思ったとしても、「制度に当てはまらないから」と断らざるをえなかったのです。
 必死の思いで窓口を訪ねてきた人が肩を落として帰って行く姿を何度も目にしました。「社会保障の最後のとりでだ」と信じていた私にとって、福祉事務所の実態はショックでした。
 目の前に支援を求めている人がいっぱいいるのに、支えることができない。その無念さや無力感が募って、実習が始まって10日目くらいから涙が止まらなくなってしまいました。
 制度に当てはまらない人たちをどうやって支えたらええんやろう。思いあぐねているとき、社会福祉協議会の存在を知りました。
 調べてみると、誰もが安心して暮らせる地域をめざして、課題解決のために住民主体で事業を企画、実施する組織だと書いてあって。
 「これや!」と思いました。誰もが安心して暮らせる地域をつくる仕事がある。ようやく進む道が見つかった思いでした。
■ボランティア拠点作り
1987年春。大学を卒業した私は、誰もが安心して暮らせる地域をつくる仕事ができると期待に胸をふくらませて豊中市社協に就職しました。でも当時は社会福祉法人になってまだ5年目で、よちよち歩きの組織でした。

残りの会員登録が必要な部分の要約は次の通りです。

社協では、新人の年からいきなり、ボランティアセンターの立ち上げをまかされた

●ボランティアが30人しかいない状態で、公報で、ボランティアを派遣しますから困りごとがあれば連絡をくださいと呼びかけることからはじめた

養護学校の児童の母親から、お金を貯めたいので共働きをしたいが、帰りの迎えができないので代わりにしてほしいという依頼がきたことがあり、お金を稼ぎたい人のためにボランティアを派遣していいのか悩んだ

●ボランティアの人たちが、やってみたらええんやないかと言い、やってみることにした

●ボランティアが何をして、何をやらないかは、住民自身が決めるべきじゃないかと思い、それからは住民主体で運用してもらっている

脳梗塞の後遺症で動けない夫を、5階建てマンションから下してほしいという依頼があったことがきっかけで、階段昇降機を購入した

●階段昇降機というものがあることは、運送会社で働いていたボランティアが教えてくれた

●夫婦の感謝する様子に本当によかったと思った

●階段昇降機の貸し出しの依頼があちこちからきた