いちおう山口県民なので…・3

 まずは、前回書き損ねていたことから。

 選挙公報を見ると、飯田氏は、プロフィールに、「ソフトバンク孫正義氏や橋下徹大阪市長のブレーンとしても活躍」とある。新世代のリーダーと繋がりがある大物ってイメージで、売ろうってことなんだろうね。そういえば、坂本龍一とツーショットのポスターだって、大物っぽさを醸し出してるし。まあ、一般受けをねらうには、有効な手段の一つなのかなぁ。でも、山口で通用するのかなぁ…。…う〜ん、橋下氏と繋がってるってのは、結構、いけるのかもね。

 さて、今日は、飯田氏の「維新」というキーワードについて。

 飯田氏の選挙公報とか、HPとかには、「維新のDNA SPIRIT OF ISHIN」っていうロゴが付いている。「維新」とか「吉田松陰」とか「高杉晋作」って、ほっっんと、山口では、いまだに、政治とか教育とか行事とかの場面で、「思い切って良い方向に進めるよ。山口にはそういう精神があるよ」って話として、やたらと出てくる。

 余談だけど、山口では去年山口国体があって、震災の直後だからどうなるのかなって思ったけど、もう、やるべきかどうかって議論なんて全然ない感じで、基本、ふつ〜うに国体を開催した。まあ、被災地の選手を招待して練習場所を提供したりはしていたけど、あとは、「第67回国民体育大会」ってのを「東日本大震災復興支援 第67回国民体育大会」にしたり(もちろん看板は作り直し)、「たちあがれ!東北 がんばろう!日本」ってロゴを作ったり(まあ、いちおう、ワッペンとかの収益は被災地へ)、ってくらいしか、していなかったように思う。国体のための莫大な労力とか強化費とか施設とかを、復興や支援のために役立てたらよいのに、そんな様子はあんまり見られなかった。特に福島(≒会津)については、戊辰戦争の遺恨があるんだから、こんなときこそ福島のために何かをして、遺恨を解消すればよかったのに。なんか、みんな国体に向けて頑張っっているんだから、水を差すようなことは言わない方が…って雰囲気があったように思う。そうじゃなくて、「維新」って言葉で、思い切ったことをしたり、福島や東北の人たちのことをもっと思い出せばよかったのに。

 それはともかく、やっぱり、飯田氏は、大阪維新の会の「維新」と、ここ山口のマジックワードである「維新」とをあわせて、大阪での活躍(?)と地元山口への郷土愛の両方をアピールしようとしているんだろうね。でも、時代の先を行くイメージで売っているのに、そんな、べた〜な感じでよいの?って、正直、感じた。

 でも、実は、それ以外に重要な意味を、飯田氏は「維新」って言葉に持たせようとしている。出馬にあたってのインタビュー形式の動画で、飯田氏は、「維新」について、次のように語っている。

 「…まあ、晋作にしろ、竜馬にしろ、あの、松陰にしろですね、まあ、時代状況として、非常によく似ているんじゃないかなあと。既成の権威が完全に失墜していて、何か新しい方向を模索をしていたという時代っていうんでは非常によく似ているなあと。…(中略)…自分たちが、その、見えない中で、こう、一歩先に動いて、そこから、あの、新しいものを創り出していく、という、ま、そこが、あの、共通、3人とも非常に共通していて、えー、それはある意味、僕自身がこれまでやってきたこと、スウェーデンにまったく先が見えないで飛んで行き、で、まあ、どんな支援が得られるか分からないけど法律をつくり、国会議員に、まあ、これまでの環境派だけではなくて、えー、超党派の議員連をしかけていったとかですね、まあ、そこが非常によく、まあ、自分としても、あの、共感を覚えるところがあって、やっぱこの、先が見えない、既成の権威体制が壊れようとしている中で、やっぱり、新しいものを、その、誰もが歩いていない中で創るということが、重要だなあと思いました。…」*1

 これ、時代の閉塞感に対する焦燥感とか、最近議論を呼んだ「決められる政治」とか、そんなのに関係してくるよね。先が見えなくても創るって、格好はいいけど、大丈夫なのかな。いや、エネルギー政策の改革者としてはそれで良いかもしれないけど、一県の知事としては、大丈夫なのかな。吉田松陰って、後先考えずに行動していろいろやらかした人ってイメージもあるんだけど…。例えば、飯田氏は山口からエネルギー革命を起こすことで山口に元気を取り戻すことを訴えているけど、その革命の中心的担い手となる企業なんかの当てはあるのかな。ちょっとこの辺が、気になるところだなぁ。以前、飯田氏は、橋下氏について、「問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感」とTweetしたことがある*2けど、確かに、問題意識とアプローチは同じなのかもしれないね。