ついに逆切れまでしはじめた盛山はもう終わりだろ。それを放置する岸田も。

 次の記事について。

 

www3.nhk.or.jp

盛山文科相 “選挙支援の指摘 教団側から揺さぶりも”と認識
2024年2月16日 12時22分 

盛山文部科学大臣は、前回の衆議院選挙で旧統一教会側から選挙の支援を受けたなどと指摘が出ていることについて、解散命令請求を行った岸田政権に対し、教団側が揺さぶりをかけていることも考えられるという認識を示しました。

盛山文部科学大臣は、前回の衆議院選挙の際、旧統一教会の関連団体の集会に出席して推薦状を受け取り、選挙の支援を受けていたなどの指摘が出ています。

これについて盛山大臣は閣議のあとの記者会見で、「衆議院予算委員会をテレビで放送するタイミングで報道が出たほか、林官房長官や岸田総理大臣についても教団側との関係を指摘する話が出た。教団側の意趣返しかどうかわからないが、解散命令請求を行った岸田政権に対し揺さぶりをかけてきているということも十分考えられる」と述べました。

また、記者団が「説明責任を十分に果たしていると考えるか」と質問したのに対し、「覚えていないものは覚えてないわけで、無理に作文をして思い出したということにならない。国会では、私の方から証明する手だてがないような質問で、悪印象を植えつけるような形で一方的に言われているような気がしてならない」と述べました。

 

 もくもまあ、我が身を顧みずに、こんな逆切れのような物言いができるな。カルトに協力依頼などするから、それをネタにたかられるんだろ。その事実を前にシラを切るから、正しく悪と思われるんだろ。被害者面するな。お前は加害者で、被害者は国民だ。矛先を他人に向けて話をずらそうとするな、卑怯者。盗人猛々しい。

 

 この記事は盛山の態度を簡潔に抽出していてとてもよいものだと思うが、扱いが小さかったためか、あるいはタイトルが毎日の記事と被ってしまったためか*1、現時点であまりにも反響が小さく、私自身、普段から割とNHKは見るのに、NHKは報じてないのかと検索してみてはじめて見つけた。そこで簡単にだが、少しでもこの記事が多くの人に届けばと、ブログに書くことにした。

 

 ちなみに、この記者会見の少し前に、やはり逆切れ、かつ、他人に矛先を向ける態度を盛山が取ったことを朝日が報じている。こちらは、朝、トップで報じられていたので、ある程度見られたのではないかと思う。

 

www.asahi.com

 

 該当部分だけ引用する。

盛山氏の事務所は、推薦状の受け取りや推薦確認書への署名について朝日新聞が質問を送ったところ「朝日新聞の取材には応じない」とした。

 

 文科相ネトウヨしぐさかよ。―っで、「行動をご覧いただき、ご信頼いただければ」だったっけ? 岸田お得意の「説明責任を果たしてもらいたい」は?

 

 さすがに、これは、もう、盛山に引導を渡さないとダメだろ。そして、盛山を放置する岸田にも。

労働組合とフリーライドの問題についての問題提起~~労働組合への公的助成は是か非か~~

  労働組合の衰退が叫ばれて久しい。そして、いよいよその恐るべき最後も近づいているように思える。組合活動には労力とカネがいる。なぜなら、使用者の持つ圧倒的な力に対抗するために、情報収集と理論武装を行い、それに基づいた共通理解と組織的な行動をとらなければならないからだ。そのため、組合の業務だけに専念する専従を置いたり、外部の専門家に仕事を依頼したりすることになり、それらの経費を賄うために、組合員から少なくない組合費を徴収することになる。けれども今、その組合の会計が、組織率の著しい低下により、いよいよ破綻に近づいている段階にあるのではないか。そうなった時に一番心配されるのが、専従として働いてきた人たちの生活保障だ。もともと一組合員であった人が専従になる場合、多くの場合は、組合の規定で、その人のそれまでのキャリアから予想される、平均的な報酬や福利厚生を約束されるのではないかと思う。そして、その範囲は、退職後の年金にまで及ぶのではないだろうか。組合の会計が破綻した時、専従の生活はもともと約束されていたとおりに保障されるのか。されないのならば、専従はどのように身を振ればよいのか。自らの生活への不安を背景に、なんらかの組合への背任的な行動をとる専従も出てこないか。そうした時に、それを組合員たちは非難できるのか。会計が破綻し、専従もなき後、労働者たちは使用者たちとどう戦えばよいのか。これは、一部の大手企業のユニオンショップ制の組合を除き、労働組合にとって、もはや直視しなければならない恐ろしい懸念だと思う。この悲劇的な状況に対するラディカルな対策が求められている。

 

 そこで、その是非の議論を提案したいのが、おそらくこれまで労働組合側にも禁じ手とされてきたであろう、労働組合への公的助成である。組合離れの大きな原因となっていることの一つに、組合に入っていようがいまいが、同じ職場の労働者であれば、組合があることによって得られる恩恵にあまり変わりがないということがある。生活が苦しく忙しいなか、組合に入ると、組合費を払わされ、労力も使わされる。入ると損をするけれども、入らなくても損はしない。そこにあるのは、いわゆるフリーライドの問題だ。それは、組合活動が、公益性があるが市場では解決できない、政府が介入すべき領域の活動であるということも意味する。専従の報酬や福利厚生等の組合活動の必要経費を、公費で助成することで、フリーライドの問題を軽減し、組合の再生につなげ、労働者の生活を改善できないか。政党助成金の発想に倣えば、これも可能ではないか。これが問題提起したいことである。

 

 これは、あくまでも、労働問題の学術書は無論、教科書的な文献さえ読んだことがない素人による問題提起で、少し詳しい人からしてみれば、今さらそんなことをというような話なのかもしれない。あるいは、ちょっと考えたら、そんなことしない方がよいに決まってるだろというような話なのかもしれない。しかしながら、思いつく語句でネットを検索した限りでは、こうした話を見つけることはできなかった。是非を問うこととあわせて、労働組合への公的助成の是非をめぐる議論はあるかということと、あわせて、国内外を問わず、こうした制度を導入した例はあるのかということを知りたい。

ふざけるな! 武見敬三、ふざけるな! 岸田、ふざけるな! 自民公明――武見敬三「生活保護『九州一部で悪用』」

 岸田政権が令和の大疑獄の渦中にある中で、一つ、ほとんど注目されていない、しかし、極めて重大で、腹立たしいことがあるので、秘境ブログながら、記事にあげて、注目を呼びかけたい。もちろん、令和の大疑獄は注目に値し、これを自公の終わりの始まりにしなければならないが、だからといって、これも軽視されてよいことではない。そして、これと大疑獄とは、自公が何を犠牲に、何のための政治をしているかということで、完全に同根の問題だ。本邦の裁判史の中では輝かしいものともいえる、愛知の生活保護をめぐる判決を受けての、武見敬三厚労相の発言の話だ。

 

 まずは、次の記事を取り上げたい。

www.asahi.com

 

有料記事なので、読める部分までを引用する。

生活保護「九州一部で悪用」 武見厚労相が発言の一部を撤回

関根慎一2023年12月8日 21時05分

 武見敬三厚生労働相は8日、国が2013年から生活保護基準を引き下げた決定を違法とした先月30日の名古屋高裁判決を巡り、「当時は九州の一部で制度が悪用されるケースが多々あった」などとした発言の一部を撤回した。訴訟の支援団体が「悪印象を振りまく」と撤回を求めていた。

 武見氏は1日の閣議後会見で基準引き下げの背景を問われ、「当時は九州の一部の地域などで、生活保護制度が極めて好ましくない形で悪用されているケースなどが多々あった。窓口で大変大きく問題となり、職員が大変深刻な脅威の下にさらされることが実際多々起きていた」と述べていた。

 この発言に関して武見氏は、8日の閣議後会見で、「必ずしも九州地方で多かったというだけの話ではない。そこ(九州の一部)だけは撤回する」と話した。

 また、生活保護の不正受給は…

 

 ふぜけるな、としか言いようがない。「撤回」と言うが、生活保護へのバッシングは何も撤回していないことは、当然確認しておかなければならない。また、そもそも窓口の問題と生活保護基準とは関係ない。

 

 私はブコメを中心に発信しているので、この記事に次のブコメをつけた。(#はタグ)

また適材適所案件か。まったくもって厚労相として不適格。辞任しろ。/九州で生活保護といえば思い出すのは、2007年北九州で生活保護を止められた男性が「おにぎり食べたい」と書き残して餓死したことだ。#全部自民投票者が悪い

そう、これこそが九州の一部の地域の窓口で起きた問題だ。

 

 しかし、これだけでは言い足りないと思い、さらにこのブコメに次のブコメもつけた。

当時、片山さつきや世耕が生活保護バッシングをしていたことも忘れてはならない。厚労相である武見の発言は、自民はその頃と何も変わっていないということだ。

そう、自民は片山に愚連隊をさせて生活保護バッシングキャンペーンをはっていた頃と、何一つ変わっていないのだ。

 

 九州云々のくだりはないが、12月1日の時点で、武見の発言を報じたものとしては、NHKの次の記事があった。

www3.nhk.or.jp

生活保護費引き下げで賠償判決「当時の見直しは適切」厚労相
2023年12月1日 11時52分 

生活保護費が2013年から段階的に引き下げられたことについて11月30日、名古屋高等裁判所が引き下げの取り消しと国に賠償を命じる判決を言い渡したことを受け、武見厚生労働大臣閣議のあとの記者会見で、「当時行われた生活保護制度に関わるさまざまな見直しは手順も含めて適切なものだった」とする認識を示しました。

生活保護の支給額について、国が2013年から最大で10%引き下げたことに対し、愛知県内の受給者13人が最低限度に満たない生活状況を強いられているなどとして国に賠償などを求めていた裁判で、名古屋高等裁判所は30日、引き下げを取り消すとともに、国に原告全員への賠償を命じました。

これについて、武見厚生労働大臣は12月1日の閣議のあとの記者会見で、「当時は生活保護制度が極めて好ましくない形で悪用されているケースなどがあり、こういうことに対してきちんと対処すべきという考え方が前提にあって、生活保護制度に関わるさまざまな見直しが行われた。その手順も含めて適切なものだった」と認識を述べました。

そのうえで、「判決内容を精査して、関係省庁や被告の自治体と協議したうえで、今後、適切に対応したい」と述べました。

 

 これには、次のブコメをつけた。

当時は片山さつき、世耕らによる生活保護バッシングの嵐が吹き荒れていたんだよ。河本母、フルスペックの人権、思い出すだけで腹立たしい。この外道どもが。

 

 そして、当時を思い出してみようと、「河本母」でググってみると、当時のものではないが、次の記事が目に入った。

www.sponichi.co.jp

河本準一、10年前の“生活保護問題”について口を開く「母親は何も悪くない、僕の完全なミスなんです」
[ 2022年8月23日 16:45 ]

 お笑いコンビ「次長課長」の河本準一(47)が23日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。12年にあった母の“生活保護問題”について振り返り「母親が責められることは一つもない」と語る場面があった。
 「100の質問に答える」企画で、スタッフから12年にあった母の生活保護の騒動について問われた河本。「もちろん今でも反省していることだし、リセットできないから」と反省しながらも「これだけは言っておきたいんだけど、悪いのは僕であって母親は何にも悪くないんですよ。母親は不正受給はしてないんですね」と強調した。

 「母親は両手が動かなくなって、めちゃくちゃ厳しい審査を通って、受けさせていただいたのが生活保護という最後の砦なんです。それは受ける権利があったんですけど、そこで“息子がなんで看れなかったのか?”というのが争点なんです」と語った河本。

 「最初に母親が生活保護を受けてるときは、全く売れてないときで、当時僕は借金もしていて。個人事業主は浮き沈みがあって、でも僕みたいに突然変異でめっちゃ上がるときもあって。そのときに“なんで看てあげなかったの?”っていうところが、僕の完全なミスなんです」と落ち度を認めながら、「母親が責められることは一つもないです。今でも後悔してるけど、十字架を背負っていくしかない」と話していた。

 

 私はバラエティー番組はもちろん、民放もほとんど見ないので、この人の他の面での評価は何一つないが、この記事を読む限りでは、世間の圧力を内面化させられた、あまりにも切ない言葉だと思う。あるいは、芸人らしく空気を読んだのか。なので、次のブコメをつけた。

いいや、ケースワーカーのミスというか、そうならざるを得ない状況を作った政治の責任だ。

 

 これは深く書こうと思えば、いくらでも深く書けるし、そうしなければならない話だと思う。しかし、力量もなくそうすれば、むしろさらに注目を呼び覚ます妨げになってしまうと思うので、ここまでにしたい。

岸田は分配重視と言ったことはあっても、再分配重視と言ったことはないよ。そして、この「分配」の主語は、政府ではなく、企業だよ。そして、結局、岸田の経済政策は「自己責任」強化、逆再分配強化だよ。

 タイトルのとおりである。これらは、はてなブックマークや他所様のコメント欄などで、これまで何度も書いてきたことだが、今日、テレビから流れてきた臨時国会の岸田の所信表明演説を聞いて、これはやはり、一度自分のブログにまとまったものとして書き残すべきだと思い、久しぶりに記事を書くことにした。物価高による国民の不満の高まり、内閣支持率の急落、昨日の2つの衆参補選での惨敗と苦戦と、岸田は求心力を失ってきており、その回復のためには、国民の窮状に対応した政策の提示や、これまでの自民党政治の反省など、新しいメッセージの発信が求められている状況にある。にも関わらず、テレビから聞こえてきた岸田のメッセージは、これまでと何ら変わりないもの、いや、というより、その本質をよりグロテスクにむき出しにしたようなものだった。NHK NEWS WEB より一部引用する。

www3.nhk.or.jp

 

岸田首相 衆参両院の本会議で所信表明演説 


臨時国会の召集を受け、岸田総理大臣は23日、衆参両院の本会議で所信表明演説を行いました。

 

冒頭、岸田総理大臣は、防衛力強化や少子化対策など時代の変化に応じた課題に取り組み、結果を出してきたとしたうえで「今後も物価高をはじめ国民が直面する課題に『先送りせず、必ず答えを出す』との不撓不屈の覚悟をもって取り組んでいく」と述べました。

 

そして「30年来続いてきた『コストカット経済』からの変化が起こりつつある。この変化の流れをつかみ取るために『経済、経済、経済』、何よりも経済に重点を置いていく」と述べました。

 

そのうえで、近く策定する新たな経済対策について、変革を力強く進める「供給力の強化」と、物価高を乗り越えるための「国民への還元」を両輪とした内容にする方針を示しました。

 

このうち「供給力の強化」では、今後3年程度を「変革期間」と位置づけ、◇半導体や脱炭素などの先端分野への大型投資を促進するとともに、◇賃上げや設備投資に取り組む企業への減税を進めると説明しました。

 

また、◇供給の要である労働力の拡大を念頭に、いわゆる「106万円の壁」を解消するために必要な予算を確保する考えも示しました。

 

そして「国民への還元」では、急激な物価高に賃上げが追いつかない現状を踏まえ、負担を緩和するための一時的な措置として、税収の増加分の一部を国民に還元すると強調し、所得税の減税を念頭に「近く政府与党政策懇談会を開催し、与党の税制調査会での早急な検討を指示する」と述べました。

 

また、◇各自治体で低所得者世帯への給付措置などに使われている「重点支援地方交付金」を拡大することや、◇ガソリン価格を抑える補助金や電気・ガス料金の負担軽減措置を来年春まで継続する方針も示しました。

 

さらに今後の経済財政運営について、所得の増加を先行させ、税負担や社会保障負担を抑制することに重きを置く考えを示しました。

 

一方、人口減少などの社会の変化にも対応していく必要があるとして、◇アナログを前提とした行財政の仕組みを改革する「デジタル行財政改革」を推進するとともに、◇マイナンバー制度の信頼回復に向けて、原則、来月末をめどに総点検を終えると説明しました。

 

また、◇地域交通の担い手不足などに対応するため、一般のドライバーが自家用車を使って有料で人を運ぶ「ライドシェア」の課題にも取り組む方針を明らかにしました。

 

このほか、女性や若者、高齢者の力を引き出すため、◇子ども1人当たりの支援規模をOECD経済協力開発機構のトップの水準に引き上げるのに加え、◇介護職などの賃上げに向けた公定価格の見直しや、◇認知症対策などにも力を入れる考えを示しました。

 

 岸田の経済政策の本質は、何よりまず、供給重視、つまり、企業重視ということにある。それを、意図せずも、端的に表しているのが、岸田が決め台詞のように繰り出した、「30年来続いてきた『コストカット経済』からの変化が起こりつつある。この変化の流れをつかみ取るために『経済、経済、経済』、何よりも経済に重点を置いていく」という言葉だ。そう、30年間自民が執拗に推進してきたコストカット経済こそ、日本経済没落の元凶だ。そして、それを改めなければ、自民のお仲間さえ、日本もろとも没落するという状況にまでついにきたといったところだろう。そこで繰り出された言葉が、「経済、経済、経済」。他に言う言葉がないのか。ないのだ。自民の政策には、それでも、労働者や生活者はなく、もちろん、困窮者も決してなく、自民にとって経済と同義の、企業しかないのだ。その証拠に、それにすぐに続く言葉が「供給力の強化」だ。そして、その「供給力の強化」の内容とは、「半導体や脱炭素などの先端分野への大型投資を促進」(=相も変らぬ「選択と集中」による一部企業の優遇)と、「賃上げや設備投資に取り組む企業への減税」(=賃上げや経済を名目にした優良企業への逆再分配)なのだ。

 

 賃上げ減税なるものが逆再分配だということに説明は必要だろうか。いちおうしておくと、経営体力のある企業は賃上げにメリットがあればするだろうし、ない企業はしたくてもできないだろう。つまり、これは強い企業への減税なのだ。そして、お金に色はないので、その減税分の税収減は、当然、社会保障等、他の財政支出を圧迫する。いわば、国民全体から集めた税の一部を強い企業に与えるようなもので、労働者重視政策の皮を被った逆再分配政策といってよいものなのだ。

 

 この所信表明演説にはないが、岸田が早くに打ち出した「リスキリング」も同様だ。現在の「人手不足」は、ひとえに雇用条件が悪いことによるものである。そして、人手不足とは、労働者の立場から見れば、労働市場が売り手市場になり、雇用条件が改善する局面になるということである。ここで「リスキリング」とは、政府の金で無理やりに労働市場に新しい参入者を増やし、売り手市場の状況を弱め、労働者の苛烈な搾取に基づく経営を、企業に維持させようというものといえる。これもまた、労働者重視政策の皮を被った逆再分配政策といってよいものなのだ。

 

 そして、「賃上げ減税」にしても「リスキリング」にしても、あくまでも、岸田の重視する「分配」は、企業を通してされるものなのだ。ときおり、「岸田の再分配重視は口だけ」といった言葉を目にすることがあるが、そもそも岸田の「分配」とはこのように、企業から労働の対価として当然に与えられる賃金でしかなく、いや、それどころか、このように、ここまできて、まだ、企業が自らの懐を痛めずに済むようにしてやることが真の目的のものでしかないのだ。それは、決して、勝ち負けゲームをその本質とする、資本主義による偏った分配を是正するために、政府が行う、「再分配」ではないのだ。それは岸田も百も承知で、腹の中では断固再分配拒否なのだろう。よって、そもそも岸田が「再分配重視」と言ったことなどないのだ。少なくとも、私は、これまでそれを見聞きしたことはない。

 

 あと、「供給力強化」の具体策の3つ目にあげられている、いわゆる「106万円の壁」の解消も、その是非はともかくとして、この岸田の方向性に完全に沿ったものであるし、地域交通の担い手不足などに対応するために導入を進めるとしている「ライドシェア」も、根本問題である雇用条件の改善をなおざりにするものである。

 

 ただし、「介護職などの賃上げに向けた公定価格の見直し」だけは、それらと方向性を異にするものだろう。その具体化を注視していきたい。もちろん、あまり期待はできないが。また、「子ども1人当たりの支援規模をOECD経済協力開発機構のトップの水準に引き上げる」というのも、ふつうに読めば、岸田の他の経済政策と方向性を異にするものなのだが、近年の自民(とくに安倍菅)による中抜き政策の実績を踏まえれば、穿った見方こそ持つべき視点で、やはりその具体化を注視していかなければならないものだ。

 

 タイトルの、結局、岸田の経済政策は「自己責任」強化、というのは、岸田の「分配」重視というのは、ようは、働かざる者食うべからずの「自己責任」論であるということと、今回の所信表明演説にはないが、岸田の看板政策である、「資産所得倍増」を踏まえてのものだ。NISA拡充に代表される「資産所得倍増」が、「自己責任」論に基づくものであるということは、説明不要だろう。あわせて、この「資産所得倍増」には、弱小投資家を糧に、富裕層の投資をさらに安寧にしようとする狙いもあると私は睨んでいる。投資こそ、力がすべての世界であり、巨視的に見れば、弱小投資家が富裕層の糧となるのは自明である。ゆえに、力のない者が投資に身がすくむのは当然なのだが、それを政府が積極的に後押ししようとする。そして、それが成功すれば、富裕層は、投資のリスクを弱小投資家へと分散することもできる。弱小投資家こそリスクの高い投資に、それと気づかずに誘導されやすいだろうし、バブルが弾けた時に、「自己責任」として片づけられやすいだろう。よって、これも、弱い者を強い者の糧にするための逆再分配政策でもある。もちろん、そもそも金融所得への分離課税やNISA拡充などは、それ自体逆再分配政策であるが。

 

 もし、投資がそんなにバラ色で、自民政府の政策が「自己責任」論にも逆再分配にも立つものではないというのなら、政府が投資をし、運用益を広く国民に還元して、国民の生活を安定させればよいではないか。いや、それ、公的社会保険ですけど、という突っ込みが入るだろう。そのとおりだ。しかるに、自民政府はその公的社会保険による保障を切り崩しつつ、2001年に「自己責任」型の「日本版401k」なるものを導入したり、今は岸田が、「自らの投資で生活の安定を」と呼びかけたりしている。やはり、公から「自己責任」へ、そして逆再分配強化こそが、岸田の経済政策の本質なのだ。もちろん、それは、岸田の属する自民の経済政策の本質でもある。そして、自民に属する者にその例外はいないというのも、もう十分に歴史が証明しているだろう。

 

 岸田が新たな経済対策の「供給力の強化」と並ぶ両輪の一つとして打ち出した「国民への還元」については、そもそも、そのような一時的な対策を、あたかも政府からの恩恵であるかのようにするのではなく、再分配強化を柱とする税制改革と、社会保障の拡充とを行い、財政のビルト・イン・スタビライザー機能を回復しろということこそ、言わなければならない。また、税制や社会保障制度を物価変動に対応できるものにしろということも、言わなければならないだろう。しかし、それを再分配断固拒否の自民政府に期待できるはずもないことは、言うまでもない。現に、岸田は、「所得の増加を先行させ、税負担や社会保障負担を抑制することに重きを置く」考えを示している。そして、もちろん、それらが整備されないからには、期限付きの対策が必要ではある。つまり、この「国民への還元」という言葉は、自民政府が意図的に欠陥のある制度設計をしたがゆえに対策が必要となったことを、まるで自民政府の政策が成功したから国民に恩恵を与えることができるかのように装おうとする、詐欺的な言葉なのだ。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・4(たかまつと平和主義)

 『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない』の第4回である。この回では、平和主義に関連するたかまつの言動についておもに書いていく。

 

 要点から先に述べると、たかまつの平和主義に関連する言動の特徴は、次のようなものになる。

 

  • 自分のことを「どちらかといえばリベラル」「どちらかというと左の考えを持っている」と言いながら、改憲・軍拡に誘導しようとする情報ばかりを、無批判に垂れ流す。しかし、アリバイ作りをするかのように、自ら改憲や軍拡を直接訴えることはしない。
  • 取材やインタビューや論拠が薄っぺらで、その上、チェリーピッキングの臭いが漂う。
  • 政治家とは何を言っているか以上に何をしてきたかで評価しなければならないという、基本中の基本を無視して、9条堅持を主張する人たちを、憲法論議を妨げる勢力として攻撃する。
  • これらを「タブーがない」「アップデート」などの言葉で粉飾しようとする。

 

 以下、目についたたかまつの記事等を見ていく。

 

note.com

 

 この記事では、記事全体をとおして上記の特徴が見られる。加えて、「余命投票制度」炎上のほとぼりが冷めていない時期だけに、そこで抱いたリベラルへの怨嗟も全開だ。noteというホームグラウンドでの記事ということもあり、たかまつの平和主義への態度が最も率直に出ているものだろう。

 

 ちなみに「イデオロギー対立に終止符を打つために」と大仰なタイトルが付いているが、記事のはじめに「私は、右からも、左からも叩かれます」とある。なんのことはない、たかまつの、歪んだ自己認識が原因のストレスに対する、防衛機制のようなものだ。今井絵理子よろしく批判なき政治でも目指したいのか。そんなものは、カネとコネでやったもん勝ちの社会を作ることにしかならないというのに。そしてそれは、今井が示しているように、極めて党派的な態度だ。

 

 話を戻して、日付は前後するが、この記事を先取りして要約しているともいえるのが次のツイートだ。

 

 

  なぜ、改憲を望まないリベラルが改憲草案を作らなければならないのか。意味が分からない。リベラルへの屈折した情念がダダ洩れ、かつ、チェリーピッキングと知識の浅さと論理性のなさと牽強付会が凄まじい、実にたかまつらしいツイートだ。

 

 次のインタビュー記事では、たかまつの商売事情を割り引かなければならない可能性もあるが、自民右派論客として売り出し中の、松川るいプロパガンダの積極的垂れ流しが凄まじい。*1

 

dot.asahi.com

 

 タイトルでは安倍晋三への思いを前面に打ち出しているが、記事の大半が安全保障に関するものである。そこでたかまつは、ひたすら、「…はどうなんですか」と話題を振っては松川に説明させるという役割に徹している。唯一調子が変わるのが次の部分だが、これがさらに酷い。

 

 何で(イギリスの元首相の)サッチャーフォークランド諸島みたいな遠く離れた領土を守ったのか。それは、イギリスという国は、領土、領海、領空の主権を1ミクロンも譲らない、それを示すためだったと思います。日本は「無人島だったらあげるね」という国だと思われること自体がリスクなのです。日本の領土を狙っている国に対しては、日本は自分の国は死んでも守る国ですよ、ということを示さないといけない。尖閣諸島をやすやすと譲るようでは、南西諸島や沖縄もいけるかもと思わせてしまいます。

 

――その危機感をまだ感じられない人も多いんじゃないでしょうか。私も含めて。

 

松川:本当ですか。台湾に侵攻するときはたぶん台湾の背後に当たる与那国は攻撃されるでしょう。与那国が無力化できれば、そこを拠点に、東側から台湾を攻撃するでしょう。当然尖閣諸島も取られてしまう。与那国や宮古、石垣は日本の領土であり、実際に多くの日本人が住んでいます。それを失って本当にいいんですかと。

 

 フォークランド紛争でイギリスは、戦死者だけでも256人もの犠牲を払ったとされる。松川は、そういう国と「無人島だったらあげるね」という国との偽りの二者択一を迫り、日本もそういう国にしようとでもいうのか。そんな質問もしないどころか、「その危機感が感じられない人も多いんじゃないでしょうか」と、さあ、もっと、危機感を煽ってくださいと言わんばかりに話を振る。白々しく「私も含めて」などと言いながら。これのどこが「どちらかといえばリベラル」「どちらかというと左の考えを持っている」なのだろうか。

 

 安倍の話題では、松川に、「私は外務官僚として感じた」という検証困難な理由から、民主党政権をディスらせるだけディスらせ、安倍を礼賛させるだけ礼賛させ、それに対し「じゃあ総理大臣も目指していらっしゃる?」とか、「逆に駄目だったところとか、もう少しこうしてほしかったという点はどこですか」とか、小学生かよ、と突っ込みたくなる質問を返すだけ。これは2022年9月25日付の記事なのだが、統一教会のとの字も出ない。見方によっては、松川にいかがわしさをさらけ出させ、読者の松川の評価を下げさせようとするものではないかとさえ思えるが、さすがにそんなことはないだろう。

 

 次の記事は、タイトルの「祈るだけの「日本の平和教育」」という藁人形論法がまず目を引く。そして、平和主義に関しては、それがすべての記事だ。

 

toyokeizai.net

 

 該当部分を引用する。

 

――ウクライナの方たちは、今度の戦争をある程度予想していたのでしょうか。

いいえ。クリミア侵攻があったのに、多くの人が、ロシアが攻撃を開始した2月24日までは、まさか攻めてくるとは思っていなかったようです。終戦後の日本でも「戦争が始まったと感じたのはいつか」という質問に対して、身近な人が亡くなったり戦争に駆り出されたりして、初めて実感した人が多かったようです。その点は、かつての日本とウクライナも同じで、直接的な被害がないとなかなか実感しにくいのかもしれません。

「戦争を回避するために、どうすればよかったと思うか」という質問にも、さまざまな答えが返ってきました。「ロシアとの間に壁を造るべきだった」「侵攻をためらうような経済大国になっていたら違った」「NATOに入るべきだった」「武器をもっと準備しておけばよかった」など。もちろん現実的なものばかりではありませんが、皆さん一家言持っており、真剣に考えていることがわかりました。

私が日本人ジャーナリストだと名乗ると、「ロシアと隣同士だけど、大丈夫か」「北方領土はどうなるんだ」「気付いてからでは遅いから、その前に準備しておいたほうがいい」などと心配されました。戦争で苦しんでいる人たちから逆に心配されて、複雑な心境でした。

 

――今回の取材を通して感じたことは。

日本も決して例外ではないと感じました。近隣には北朝鮮、中国などによる脅威があり、対岸の火事ではありません。もっと危機感を持って、日本は何をすべきか考えたほうがいい。「防衛費を増やす」「外交を通じて他国と信頼関係を築いておく」「国際社会を味方につける」など、いろいろな意見があると思いますが、1つは民主主義を強固なものにしていくことが大切だと思います。そのためにも、若い人がもっと政治に関心を持って選挙にも参加してほしいです。

 

 見てのとおり、日本の平和教育は祈るだけなどという藁人形をせっせここしらえるような論者に、ウクライナを取材させれば、そりゃこうなるよねという予定調和でしかない。ウクライナをツマに危機感を煽り、危機への備えを「現実的」に考えるように仕向け、軍拡へと誘導する。典型的なショック・ドクトリンでもある。そして、あくまでも誘導までというのが、たかまつらしい。

 

 取材方法にも疑問が付く。たかまつは次のように取材したと語っている。

 

現地に住んでいる日本人にコーディネーターを依頼し、ポーランドからバスで17時間かけて現地入りしました。ウクライナには1週間ほど滞在し、首都のキーウ、近郊のイルピン、ボロジャンカ、ブチャの4カ所でインタビューを行いました。子どもや若者を中心に街頭インタビューを行い、ジャーナリストや政治家なども紹介してもらって30人ほどから話を聞きました。

 

 分からないのは、「30人ほどから話を聞きました」と言うが、それがジャーナリストや政治家などだけなのか、街頭インタビューを含めてなのかということだ。まさか、ウクライナまで行って、1週間ほどかけて、街頭インタビューを含めてわずか30人ほどからしか話を聞いていないとは思えないが、「余命投票制度」炎上騒動の果てに、自らについて、ホームレスをして貧困を経験したなどと語りだしたたかまつの感性と態度なら、その可能性も否定できないようにも思う。それはともかく、こうした街頭インタビューが、極めてチェリーピッキングに好都合な取材方法であることは説明不要だろう。

 

 最後は、記事自体は平和主義とは全然関係ない、たかまつと田原総一朗とのくだらない馴れ合いについての記事からになる。

 

www.daily.co.jp

 

 言葉尻を捕えるが、この記事中にたかまつの次の発言が出てくる。

 

たかまつはひるむことなく「日本は防衛予算と同じくらい、子供の教育にお金をかけなきゃいけない」と応戦した

 

 元旦の番組での発言ということで、首相の岸田が防衛予算倍増を打ち出し、それが当然のことであるかのようにされ、その予算をどう捻出するかが議論のポイントであるかのように語られ始めていた時期での発言だ。OECD比較等において、日本の予算に占める教育関係費の割合は、著しく小さいとはいえ、それでも1%の防衛関係費を2倍した2%よりは、ずっと大きい。それにも関わらず、たかまつのこの発言は、ただの言葉の勢いなのか、知識不足や知識への不真面目さゆえか、大幅な軍拡は当然と思っているからか、それを世論に刷り込もうとしているのか。たかまつのこれまでの言動からも、こうしてゴシップ記事にされる茶番の最中にこんな言葉を吐いたことからも、後2者の疑いも消せないだろう。

*1:それを言えば、当然、たかまつにこんな記事をアウトソーシングする朝日の態度を一番非難しなければならないが。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・3(たかまつと小黒一正)

 『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない』の第3回である。この回では、たかまつが論拠としてあげることが多い小黒一正についておもに書いていく。

 

 たかまつが提案し、炎上させた「余命投票制度」が小黒の論文に書かれたものであることは、第2回(「余命投票制度」炎上に見るたかまつのトンデモ)で見たとおりである。

 

 また、たかまつは、世代間格差が1億円以上あると繰り返し訴え、世代間対立を煽っているが、実はこれも小黒の論説に依拠したものだ。例えば、次のツイートからたかまつの記事に行くと、小黒の名前が出てくる。

 

 

 ちなみに、「世代間格差 1億円以上」でGoogle検索をかけると目につくのも、島澤諭という名前とともに、小黒である。この二人の次には内閣府の試算がくる。

 

 なお、私は、小黒や島澤や内閣府が出した数字自体を否定するものではない。統計とは計測にあたって設定した定義等により数字が変わるもので、彼らの計測方法ではそれが正しい数字なのだろう。そして、計測方法によって変わるものだから、なぜその計測方法にしたのかということと、その計測方法を踏まえた上でその数字にどのような意味づけをするのかということこそが重要になる。そこで問われるのが、科学者としての態度だ。数字を導き出す過程や、数字に意味づけをするまでの過程で、事実をつまみ食いする恣意的な態度がないか。利害や主観によって歪められた論理的飛躍や歪曲がないか。私は、そうした点で、小黒は極めていかがわしい人物だと捉えている。それには、私が小黒を知った、次のような経緯がある。

 

 私が小黒を知ったのは、随分昔になるが、おそらく、2013年の12月に次の記事を書いた時だと思う。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 記事を全文引用する。

 朝日新聞の記事。

『予算膨張、タラちゃん大丈夫? 日本の課題、グラフ解説』
2013年12月24日16時58分
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312240159.html

以下、引用。

 サザエさんに例えましょう。テレビでは波平さんもマスオさんも働いています。これは1970年代ごろがモデルではないでしょうか。今では波平さんもマスオさんも退職し、カツオ君やワカメちゃんが主な稼ぎ手になっているでしょう。

そして遠くない将来、カツオ君やワカメちゃんも退職し、タラちゃんが1人で家計を支えることになります。みんなの老後のためには貯金が必要です。なのに現実には貯金どころか、傷みが目立ってきた家の修理もままならない状態です。

引用ここまで。

解説しているのは、元財務官僚で経済学者の小黒一正・法政大経済学部准教授。

 あのね、政府は国全体じゃないの。だから、財政は家計に例えられないの。例えるとどうなるかは、このブログのトップに置いているエントリーを見てくださいませ。

 

 昔の記事なので、朝日の元記事は既に削除されている。おそらく、会員でなくても無料で読めるところまでを引用したのだと思う。カツオもワカメもタラも結婚したり子どもを授かったりしていないなど、設定が破綻していて、例えとしてどうしようもなく失敗しているが、小黒の、詭弁を用いてでも財政危機を煽りたい強い意思だけは明確に伝わってくると思う。この強い意思を知っているからこそ、私は、小黒がその意思のために、都合よく世代間格差という意味づけをした数字を出し、人びとを煽ろうとしていると考えるのだ。

 

 記事の末尾にある「このブログのトップに置いているエントリー」は、今もトップに置いたままにしている。家族に例えることがなぜ詭弁なのか疑問に思う人は、ぜひ見ていただきたい。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 トップに置くために日付を2099年12月31日にしているが、これは、このブログの初記事である2012年4月8日付の記事を、コピーして置いたものだ。野田政権から第二次安倍政権への政権交代が2011年12月だが、このような記事を書こうと思うようになったのは、記事を書いた時や政権交代より少し前の、野田政権時だったと思う。私は野田政権を、均衡財政に異常にこだわるあまり、一方で消費税増税の三党合意で民主党発足時の公約に反して国民を裏切り、一方で円高・デフレに有効な対策を打てずに経済を疲弊させ、安倍政権が長期政権となるお膳立てをした政権と捉えている。そして、野田政権のそうした方向性を強く後押ししているように感じられたのが、朝日新聞だ。『まだ家計に例えるのね…』という記事は、そのタイトルのとおり、そうした文脈で、小黒よりもむしろ朝日を批判したものだった。トップに置いている『財政を家計に例えるなら…』にも書いているが、財政を家計に例えるのは、朝日の十八番だという印象がある。

 

 ついでに書くと、修正せずにトップに置いたままにしているが、私の例えも、もはや日本の現状にそぐわない部分が出てきてしまっているように思う。それが「家族全体では、世界でも稀なお金持ちです」という部分で、この約11年で、急速にこの例えがそぐわないものになってしまったように思う。

 

 小黒の話に戻ると、とはいえ、この朝日の記事で、小黒の名前は、強く印象に残った。それは、小黒のことを、この記事の例えとその経歴から、原発事故後に、日本を55基の原発というエンジンで飛ぶ飛行機に例えて、原発を止めることに対する人びとの危機感を煽ろうとした、奈良林直という人物と双璧をなすトンデモ御用学者と認識したからだ。奈良林は東芝を経て北海道大教授という経歴だが、小黒は大蔵省を経て法政大准教授(当時)という経歴だ。学界に強い影響力を持つ組織の人間が、通常の学界の階段を踏まずに教授や准教授となり、その権威を利用しながら、出身組織のためにマスコミなどで非科学的な主張をして世論を誘導しようとすることがある。あの事故の後に、奈良林によってそうした姿をまざまざと見せつけられたのは衝撃だった。なので、朝日での小黒の言動を見て、ああ、ここにもいるのかと思ったのだ。御用学者という言葉は、その用法からあまり使わない方がよい言葉になってしまっているが、この二人などは、本来、トンデモ御用学者という言葉に実に相応しい人物だと思う。

 

 その後、実は、奈良林のことは、そんな言動をした学者がいたということは覚えていたが、名前は忘れてしまっていた。その名前を見ることがなくなったからだ。一方、小黒については忘れなかった。それは、その後も継続してその名前を見ることがあったからだが、そうしたことで、小黒を知った時の印象が強まることはあっても、覆されることはなかった。小黒とは、人びとを詭弁で煽り、小さな政府へと誘導しようとするトンデモ御用学者であるというのが、私の一貫した認識だ。この朝日の記事だけでは、強硬な財政再建論者であるといえるだけで、小さな政府論者であるとは限らないではないかと言われるかもしれないが、元大蔵省という経歴からも、消費税増税社会保障の切り捨てとによって所得再分配機能を弱めることで、財政再建を図ろうとする論者だろうと考えるのは自然なことで、実際、その後目にした小黒の論説は、そのようなものばかりだ。たかまつが炎上させた「余命投票制度」などはその最たるものであるし、階級格差はなおざりにして、ことさら世代間格差を強調することもそうだ。

 

 さて、たかまつと小黒との関係だが、私がたかまつのことを知ったのは、小黒の例えを批判する記事を書いた2年半ほど後に、次の記事を書いた時である。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 全文を引用する。

 

 参院戦も近づき、18歳に選挙権が与えられて初の国政選挙ということで、若者向けの選挙キャンペーンも熱を帯びてきた。朝日新聞も、その流れにのった記事をいくつかあげている。そのなかで、これはちょっと有害だなという記事をみつけた。なんか若者に投票を呼びかけるキャンペーンで、世代間対立をいたずらにあおるものが目立ってきているが、この記事も、タイトルをみて、またかと思わされたし、読み始めて、さらに詭弁まで使ってそれをしてやがると思ったんだけどね…。…いつものことだけど、マスコミの「分かりやすい説明」って、たいてい詭弁だよね。…それはさておき、さらに読みすすめると、これ、朝日18番の悲惨な詭弁による「財政再建厨」キャンペーンじゃねーかって、心底むかついた。性質の悪いステマ。有害。若者のリテラシーをあげる気なし。

 それが、次の記事。

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『18歳が知った「シルバー民主主義」 無関心の怖さ納得』
吉沢龍彦 聞き手・仲村和代 田渕紫織 2016年7月3日05時05分

http://www.asahi.com/articles/ASJ714JGXJ71UPQJ00F.html?iref=comtop_8_07

 18歳、19歳の選挙デビューに向け、いろんな試みをしています。「お嬢様芸人」たかまつななさんの「せんきょの学校」をネット中継し、18歳のシンガー・ソングライター井上苑子さんに今の思いを聞きました。高校生の発案によるフォトコンテストも開催中です。政治のイメージをポジティブなものに変えようという試みです。

■「投票行かないと…」シミュレーションゲーム

 18、19歳の有権者がどれだけ参院選の投票に行くかに注目が集まっています。過去の選挙では若い世代ほど投票率が低い傾向が出ています。ちなみに3年前の参院選では、20代は33%、30代は44%、40代は52%、50代は62%、60代は68%でした。

 若い世代が投票に行かないと、どんな影響があるのか。Voice1819の一環で、テレビ番組などで売り出し中の「お嬢様芸人」たかまつななさん(22)の、笑える政治教育をネタにした「せんきょの学校」を動画配信サービス「ツイキャス」でネット中継しました。生徒役として18歳、19歳を代表して、大学生シンガー・ソングライターましのみさん(19)と、ジャニーズの嵐の大ファンという専門学校生さとえりさん(18)が参加しました。ツイキャスで録画が視聴できます。

 たかまつさんが始めたのは、「逆転投票シミュレーションゲーム」。「50歳以下の選挙権は廃止する」という政策に賛成か反対か、投票で決着させようというゲームです。

 その場にいた記者を含め、18歳高校生、20代会社員、40代主婦、60代会社員、80代高齢者という役割に分かれた5人が投票します。50代以上は自分たちの利益が膨らむであろう「50歳以下の選挙権廃止」に賛成し、50歳未満は反対します。

 人数だけなら、3対2で反対多数です。でも、実際の社会では年代ごとの有権者数が違います。その実勢に合わせて80代には40点、60代には90点、40代には90点、20代には60点、10代には10点を与えます。点数の合計だと、賛成130点、反対160点と、なお反対が優勢です。

 ここで、たかまつさんが尋ねました。「でも、みんなが投票に行くでしょうか」

 「あっ!」「そういうこと?」。生徒からつぶやきが漏れます。

 10代の投票率はまだ分からないので、仮に50%としておきます。それ以外は過去の選挙での実績を当てはめます。20代30%、40代50%、60代70%、80代60%として先ほどの点数にかけ合わせると――。

 賛成87点、反対68点。賛否が逆転し、むちゃくちゃな政策が通ってしまいました。

 「これが実際の世の中で起きていることなんですね」とたかまつさんは解説します。さらに、舞台に立つ時に客層を見て受けそうなネタを選ぶと自分の体験を話します。「政治家も客層、つまり有権者を見て政策を変えて当然ではないでしょうか」と話を締めくくりました。

 少子高齢化にともない、高齢者層の政治への影響が強まることは「シルバー民主主義」と呼ばれます。実際、日本で1人が一生の間に政府に払うお金(税金など)と、政府から受け取るお金(年金など)の収支は、年代ごとに大きな差があると言われます。60歳以上は4千万円のプラス、20歳未満は8千万円以上のマイナスという試算があることを、たかまつさんは紹介しました(小黒一正・法政大学教授の試算)。

 もちろん現実の政治は、世代間でいがみあい、税金を取り合っているだけではありません。お互い力を合わせ、支え合い、よりよい社会を作っていくことが大切です。

 そのためにも、まずは投票に行くことが大切――。これがたかまつさんのメッセージでした。

 「深い……」と授業中につぶやいていたましのみさん。「私だけでなく、まわりを巻き込まないと。みんなで選挙に行こうと呼びかけます」と話しました。

 さとえりさんもこう言います。

 「政治や選挙に関心を持たないと、ほんとコワイんだなって思いました。自分だけがそう思っていても仕方がないので、友だちも誘って投票に行きます」(吉沢龍彦)


≪続きの引用は省略≫


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…あのさぁ。なにが、「深い……」だよ。申し訳程度に、「もちろん現実の政治は、世代間でいがみあい、税金を取り合っているだけではありません。お互い力を合わせ、支え合い、よりよい社会を作っていくことが大切です。」なんて、優等生なこと言っているけどさ。。。その前に、「これが実際の世の中で起きていることなんですね」なんて、断定調で言って、そんなんにはじめて「深い……」なんて言うような「若者」たち誘導しておいて、そんなん言っても、そりゃあんまり意味ないでしょ。とはいえ、そこはまだいいよ。確かに、そうでもして関心を呼び覚ます必要もないとはいえないし、いちおう、申し訳程度のことは言ってるしさ…。

 でも、これに、よりによって、「財政再建厨」くっつけるか?! 元財務官僚、あえてこの言葉を使うけど、御用学者、小黒一正だぜ! 小黒については、これ↓を参照ね。

『まだ家族に例えるのね…』
http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20131224/1387895160

ああ、小黒が世代間格差のことを言っているのは、まだいいんだけどね。ただ、これ、社会保障切り捨てのステマだよね。本当の格差のことじゃないよね。いや、小黒や朝日が、高所得者や資産家の負担を求めつつ、社会保障のなかでも元高所得者や資産家の社会保障の切り捨てだけを求めるってんなら、そりゃ、すばらしいけどさ。どうせ、こいつらが気にしているのは、自分たちが安定してラグジャリーに生きれるシステムの維持だけでしょ。


 こんな「主権者教育」より、今、若者に一番求められているのは、資産家やマスコミや金融機関や大企業エリートの人間なんかの生活がどうなっているのか、いっぽう、例えば、非正規の若者や、福祉関係の職につく若者たちの生活はどうなっているのか、そういう現実をまざまざと直視させること、そして、それが「政治」によってつくられるシステムの上に成り立っているということを知らせること、それこそが絶対に必要だと思うけどね。

 

 この朝日の記事も、6年半以上も前のものなので、既に削除されている。たかまつがこうした活動をいつ頃はじめたのかは確認していないが、朝日の記事に「テレビ番組などで売り出し中の「お嬢様芸人」たかまつななさん」とあるので、少なくとも本格的に活動しはじめたのは、この頃ではないかと思われる。その頃から既に、たかまつは、学者である小黒の権威を梃子とする誘導を行っていたのだ。それを今もなお続けているだけでなく、新たにトンデモな「余命投票制度」を小黒に代わって提案してもいる。たかまつの主張が、小黒の論説に、異様なまでに強く結びついていることが分かる。そういえば、6年半前の記事の「20代30%、40代50%、60代70%、80代60%として先ほどの点数にかけ合わせると――」という下りなどは、「余命投票制度」を彷彿とさせる。それはともかく、まるでたかまつは、小黒の論説の、若者への刷り込み担当であるかのようである。

 

 上に書いたように、私はもともと、財政再建厨で、人びとを小さな政府に誘導しようとする朝日を批判していて、次いで、そんな朝日を御用学者としての利害からトンデモな詭弁で援護しようとする小黒を非難するようになった。なので、この記事を見た時には、今度は、若者向けに「分かりやすく」誘導するために、こんな人間を出してきたかと、なにより朝日に腹が立った。なので、批判の矛先も、たかまつよりは、朝日や小黒に向けた。それは上の記事を読んでいただいても伝わるのではないかと思う。

 

 しかし、今となっては、たかまつに対する認識が甘かったと思う。こんな人がいるんだ程度に思っていたたかまつが、先の参院選前には主要新聞に幾度も登場し、一方で代表的な主権者教育の講師として全国の学校を巡業している。そして、たかまつが垂れ流す情報の悪質さは増している。だからこそ、上の私の記事で朝日や小黒に向けた批判を、改めて、たかまつに強く向けなければならない。たかまつの例えやゲームといった「分かりやすい」手法は、分かったつもりにさせて本質から他のものへ目を逸らさせる詭弁だ。たかまつが論拠とする小黒一正は、いかがわしいトンデモ御用学者で、それを権威ある学説であるかのように垂れ流す手法は、詐欺的な手法だ。そして、たかまつは、なんのことはない、これらの刷り込みによって、若者を小さな政府へと誘導しようとするハーメルンの笛吹きだ。それを理解した上で、たかまつを「主権者教育」の講師として呼ぶのか判断していただきたいと願うものだ。

たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・2(「余命投票制度」炎上に見るたかまつのトンデモ)

 一つ前の記事、『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・1(たかまつの「余命投票制度」)』の続きである。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 当然のことながら、たかまつの「余命投票制度」への反応は、否定的なものが多かった。それは、次のたかまつ本人のツイートへのリンクを開き、ついたレスを見ていただいても分かるだろう。ただし、あまりにも多くのレスがついているので、少し概観しにくいが。いわゆる炎上である。

 

 

 それにすぐに気づいたのか、たかまつは、このツイートのわずか18分後から、それらに反論するツイートを立て続けに3つしている。次のとおりである。

 

 

 

 

 18分で炎上したとは考えにくいので、否定的なレスがつきはじめたかなり早い段階で反論しはじめたのだろう。自ら他人を煽ることを言っておきながら、それが批判されると、こうも反射的(たかまつは批判者を攻撃するために「条件反射」という言葉を使っているが、反射的なのはたかまつの方こそである)にこういう反応をする。たかまつが、その柔和なキャラ作りとは裏腹に、極めて感情的・攻撃的な側面を持っていることが分かる。炎上したというより、自ら火に油を注いだともいえる。

 

 そして、これらの反論は、なんら反論になっていない。たかまつは「私が出た番組や記事を見たり、研究者の論文検索したりというのを少しはやっていただきたいな…と思います」などと言うが、もちろん多くの人は記事は見ただろうし、それで説得されるものがなければ、50分もある番組を見ろ、研究者の論文を検索して見ろ、さもなくば批判するな、などというのは、かなり傲慢だ。「CiNiiのワード検索かけたリンクはっておきますねー」と、いわゆるマウンティングまでしている。「若者」の代表らしさのアピールでもしているのだろうか。若者にもいい迷惑だろう。…たんに「地が出た」だけというのが妥当な線だろうが。「生涯を通して、ポイント数は同じなので、平等だという考え方です」と言うが、個人的にも社会的にも先が読めない、生涯というものを通して平等だという考え方が、そんなに都合よくできるとはにわかに信じがたいし、それ以前に何を言っているのか分からない。そもそも、論点は1回の選挙ごとの平等であって、生涯を通しての平等などではない。論点を逸らしているだけであって、なんら反論になっていない。そして1回の選挙ごとの平等という論点では、たかまつは、18歳と100歳の一票の重みに82倍もの格差をつけよう、それこそが正しいと強弁しているのである。

 

 なお、たかまつがあげた論文のリンクから論文の著者名を見ると、小黒一正という名前があるが、この人物がまた、詭弁を弄して世代間対立を煽る論者の代表のような人物である。それについては、続きの別の記事で書くことになると思う。

 

 これらから、たかまつが極めて論理を蔑ろにする、または、極めて論理に弱い人物であることが分かる。まあ、その両方であると考えるのが妥当だろう。また、「記事を読め」「番組を見ろ」「論文検索サイトを見ろ」「論文を見ろ」と言いながら、そこにどんな反論があるのか、どんな評価がされた論文がどの程度あるのかを、何ら言わず、マウンティングまでする態度からは、極めて事実(証拠)を蔑ろにする、延いては弄ぶ人物であり、卑怯な手段も辞さない人物であることも分かる。

 

 ここで、「主権者教育」について話をすると、「主権者教育」では一般に、「中立」であることが求められる。そして、中立とは、価値観を除いた論理と事実によって成立するものである。よって、かくも論理と事実を蔑ろにするたかまつは、「主権者教育」の講師として極めて不適当な人物と言わざるを得ないのではないか。それだけでなく、感情的・攻撃的な側面を持ち、持論にこだわり、その強弁のためには卑怯な手段も辞さないとなると、なおさらだろう。

 

 さて、この炎上はすぐには収束せずに、しばらくくすぶり続ける。それは、たかまつ自身が断続的に、自らにくすぶる感情を吐き出すツイートをしたことにもよるだろう。そうしたツイートを、時系列順に見ていく。

 

 

 いや、そもそも、たかまつが喧伝するほどシルバー民主主義というものがあるのか、若者政策というものが選挙の争点になりにくのかという前提について、小黒一正の論による一点突破などではない、丁寧な議論が必要なのだが。

 

 

 これは相手の言動をを歪めた上で叩く、藁人形論法という典型的な詭弁であるし、自らの言葉を粉飾して誤魔化す行為でもある。世代間格差に目を向けたから炎上したのではなく、高齢者の一票の重みを著しく軽くする提言をしたから炎上したのだ。あるいは、世代内にも格差はあるし、世代間格差もまた世代内格差と結びついているというのに、ことさらに世代間格差だけに目を向けることを煽るから炎上したのである。また、ここに見られれるたかまつの態度は、「皆さんもどんどん提案し議論できたらうれしいです!」などと言いながら、その実は、自らが批判されていることには一切耳を傾けない、「あーあーあー聞こえないー」だ。

 

 

 藁人形論法や、自らの言葉の粉飾、「あーあーあー聞こえないー」はこのツイートでも同じだが、たかまつに向けられた暴言に対する抗議には、ある程度正当性があるだろう。ただし、たかまつがしたことの暴力性やトンデモさを考えれば、たかまつがスクショした言葉は、「クズ」、「こんな女」という言葉を除いて、おおむね許容すべき揶揄や非難だとも思うが。そういえば、この騒動が始まった頃から、たかまつに対する優生思想に絡めた批判が少なからず見られるが、たかまつは、この「たかまつなち」を除いて、それらすべてをスルーしている。真っ向から組み合うとまずいことが分かっているからだろうか。ついでだが、「姨捨なな」という揶揄も見たことがあり、個人的にはこれと「たかまつなち」はとても壺に嵌った。たかまつのツイートに戻るが、バッシングされると訴えることが、批判を封じるための手段として用いられることがあることにも注意が必要である。いわゆる被害者を盾にする行為の一種である。実際、この後さらに見ていくと分かるように、たかまつはこの卑怯な手段を多用するようになる。

 

 

 それこそ、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言うべきところだろう。…それで、高齢者の選挙権を著しく制限するという提言のどこが、「解決策がベストではない」と言うべき代物だと言うのだろうか。そんな話は一切しない。ひたすら論点逸らしだ。

 

 少し間があいて、この2日ほど後に、比較的著名な人にも同様のレスをしている。

 

 

 山口二郎にあえてレスをつけたのには、何らかの意図があるのだろうか。

 

 

 これは山口のことを指しているのだろうか。少しツイートをたどってみた範囲では分からなかった。しかしまあ、自らが高齢者一般を誹謗中傷する言説を垂れ流し、その選挙権を制限する提言までしたことを棚に上げて…。

 

 この25分後に、たかまつは、この流れとは少し別の流れになるが、若者に投票を呼びかける次のツイートをする。

 

 

 この動画は、見る気がしないので見ていないが、ついたレスやサムネイル画像から、高齢者を侮辱するような動画だと推測される。レスやハッシュタグから辿れるツイートを斜め読みしたところ、どうも3年ほど前にたかまつの会社が作成した動画で、外国の動画のパクリらしい。「誹謗中傷は本当にやめてほしい」「目の前に人がいることを想像して書いて下さい」と書いたその指で、25分後にこの動画をあげるとは、いやはや…。

 

 このツイートには、批判的なレスが多くつき、騒動の発端となったツイートと同じくらいになっている。炎上の炎が再び燃え上がったということだろう。そして、翌日のツイートで、その炎はさらに燃え上がる。

 

 

 嘘つけ。高齢者の選挙権を制限しろと言っているではないか。こうして嘘を混ぜながら、批判封殺メソッドを用いてくる。世代間格差という言葉を、その内実を掘り下げずに刷り込もうとしてさえいる。端的に言って卑怯だ。炎上も当然だ。

 

 

 差し詰め、ここはさすがに、申し訳程度にこう言わねば、といったところか。

 

 ひるがえって、たかまつは、しつこく「若者のためにどうすればいいのですか?」「子どもたちのためにどうすればいいのですか?」と言っているが、たかまつにそう言われたような人たちも、例えば山口二郎でも、多くの人たちは、この程度以上のことを若者たちや子どもたちのために言っているのではないか。それこそ、たかまつに、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言わなければならないところだが。もちろん、たかまつのように、若者のために高齢者の選挙権を制限しようという、テロリスト的な熱意までは見せていないだろうが。

 

 

 まだ言うか。厚顔無恥の大嘘つきめ。

 

 そして、収束しない炎上についに我を失い、取り乱したのか、たかまつが新たなトンデモを繰り出し、それも炎上する。

 

 

 このトンデモさは説明不要だろう。あるいは、ポカーンとか、アボーンとか表現すべきか。

 

 

 はい、藁人形論法。どうぞ、「私の生い立ちや経歴をバッシングしてくる人」を屏風から出してくださいませ。そして、出た、批判封殺メソッド。差し詰め、このトンデモで、可哀想な被害者ポジションをとり、批判封殺メソッドのツマにでもしたかったのだろう。しかしまあ、本当にそれが微塵でも通用するとでも思ったのだろうか。頭が痛い。多様な価値観を認め、自由な言論を大切にする立場の人が、高齢者の選挙権を制限する提言を批判するのは当然だ。それを「叩きのめす」とまたまた藁人形論法。つくづく卑怯だ。

 

 

 はいはい、藁人形論法。だから、どうぞ「私の生い立ちをバッシングする人」を屏風から出してくださいませ。

 

 

 

 比較的著名な人から批判されたからか、自分の誤りを認められない性格なのか、まさしく妄言に妄言を重ねてくる。当事者に失礼なのはどっちか。人の話を切り取って、貧困に苦しむ人をさらに追い詰める話に変換しようとしているのはどっちか。そもそも、そんな話をしなければならない状況を作り出しているのはどっちか。もはや、そう思うなら、お前が黙れと言わなければならない。池田香代子も実質同じことを言っているが。被害者を盾にする卑怯な批判封殺メソッドを多用した結果、当然の報いを受けた形だろう。

 

 そして、こんなおまけまでついてくる。

 

 

 

 はてさて、本当に「誤字」なのか。もはや、これも極めて怪しく思えてくる。本当に「誤字」であっても超ド級のトンデモなので、そうでない場合のトンデモさが薄れてしまうのが、いやはやなんともだが…。だいたい、駅のトイレで寝泊まりできるのかよ。警備の目をかいくぐって。

 

 

 これで、約1週間続いた、たかまつの「余命投票制度」騒動はようやく終息した。ちなみに、少し労力を使って、ここから現在までのたかまつのツイートを斜め読みしてみたが、たかまつがこれらを考えたり取材したりした答えはまだ語られていないように思う。高齢者の貧困について取材した形跡も見つけられなかった。参院選の3日前に、性懲りもなく次のツイートをしてはいるが…。

 

 

 あと、記事の中ほどで見た、高齢者を侮辱していると推測される、若者に投票を呼びかける動画も、参院選の1週間ほど前にもツイートしている。つい最近も、1月18日にツイートしている。

 

 あと、他にも最近では、こんなツイートもしている。

 

 

 「半年ぐらい」―つまり、この炎上の後ということだろう。この、被害にあって沈んでいたが、田原のおかげで頑張れるみたいな言い草は、やはり、自分のしたことと真摯に向き合って考える気はないということだろう。

 

 田原との経緯については、別の記事で書くことになるかもしれないし、ならないかもしれない。一言で言えば、くだらない馴れ合いだ。