たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・2(「余命投票制度」炎上に見るたかまつのトンデモ)

 一つ前の記事、『たかまつななを「主権者教育」の講師として呼んではならない・1(たかまつの「余命投票制度」)』の続きである。

 

suterakuso.hatenablog.com

 

 当然のことながら、たかまつの「余命投票制度」への反応は、否定的なものが多かった。それは、次のたかまつ本人のツイートへのリンクを開き、ついたレスを見ていただいても分かるだろう。ただし、あまりにも多くのレスがついているので、少し概観しにくいが。いわゆる炎上である。

 

 

 それにすぐに気づいたのか、たかまつは、このツイートのわずか18分後から、それらに反論するツイートを立て続けに3つしている。次のとおりである。

 

 

 

 

 18分で炎上したとは考えにくいので、否定的なレスがつきはじめたかなり早い段階で反論しはじめたのだろう。自ら他人を煽ることを言っておきながら、それが批判されると、こうも反射的(たかまつは批判者を攻撃するために「条件反射」という言葉を使っているが、反射的なのはたかまつの方こそである)にこういう反応をする。たかまつが、その柔和なキャラ作りとは裏腹に、極めて感情的・攻撃的な側面を持っていることが分かる。炎上したというより、自ら火に油を注いだともいえる。

 

 そして、これらの反論は、なんら反論になっていない。たかまつは「私が出た番組や記事を見たり、研究者の論文検索したりというのを少しはやっていただきたいな…と思います」などと言うが、もちろん多くの人は記事は見ただろうし、それで説得されるものがなければ、50分もある番組を見ろ、研究者の論文を検索して見ろ、さもなくば批判するな、などというのは、かなり傲慢だ。「CiNiiのワード検索かけたリンクはっておきますねー」と、いわゆるマウンティングまでしている。「若者」の代表らしさのアピールでもしているのだろうか。若者にもいい迷惑だろう。…たんに「地が出た」だけというのが妥当な線だろうが。「生涯を通して、ポイント数は同じなので、平等だという考え方です」と言うが、個人的にも社会的にも先が読めない、生涯というものを通して平等だという考え方が、そんなに都合よくできるとはにわかに信じがたいし、それ以前に何を言っているのか分からない。そもそも、論点は1回の選挙ごとの平等であって、生涯を通しての平等などではない。論点を逸らしているだけであって、なんら反論になっていない。そして1回の選挙ごとの平等という論点では、たかまつは、18歳と100歳の一票の重みに82倍もの格差をつけよう、それこそが正しいと強弁しているのである。

 

 なお、たかまつがあげた論文のリンクから論文の著者名を見ると、小黒一正という名前があるが、この人物がまた、詭弁を弄して世代間対立を煽る論者の代表のような人物である。それについては、続きの別の記事で書くことになると思う。

 

 これらから、たかまつが極めて論理を蔑ろにする、または、極めて論理に弱い人物であることが分かる。まあ、その両方であると考えるのが妥当だろう。また、「記事を読め」「番組を見ろ」「論文検索サイトを見ろ」「論文を見ろ」と言いながら、そこにどんな反論があるのか、どんな評価がされた論文がどの程度あるのかを、何ら言わず、マウンティングまでする態度からは、極めて事実(証拠)を蔑ろにする、延いては弄ぶ人物であり、卑怯な手段も辞さない人物であることも分かる。

 

 ここで、「主権者教育」について話をすると、「主権者教育」では一般に、「中立」であることが求められる。そして、中立とは、価値観を除いた論理と事実によって成立するものである。よって、かくも論理と事実を蔑ろにするたかまつは、「主権者教育」の講師として極めて不適当な人物と言わざるを得ないのではないか。それだけでなく、感情的・攻撃的な側面を持ち、持論にこだわり、その強弁のためには卑怯な手段も辞さないとなると、なおさらだろう。

 

 さて、この炎上はすぐには収束せずに、しばらくくすぶり続ける。それは、たかまつ自身が断続的に、自らにくすぶる感情を吐き出すツイートをしたことにもよるだろう。そうしたツイートを、時系列順に見ていく。

 

 

 いや、そもそも、たかまつが喧伝するほどシルバー民主主義というものがあるのか、若者政策というものが選挙の争点になりにくのかという前提について、小黒一正の論による一点突破などではない、丁寧な議論が必要なのだが。

 

 

 これは相手の言動をを歪めた上で叩く、藁人形論法という典型的な詭弁であるし、自らの言葉を粉飾して誤魔化す行為でもある。世代間格差に目を向けたから炎上したのではなく、高齢者の一票の重みを著しく軽くする提言をしたから炎上したのだ。あるいは、世代内にも格差はあるし、世代間格差もまた世代内格差と結びついているというのに、ことさらに世代間格差だけに目を向けることを煽るから炎上したのである。また、ここに見られれるたかまつの態度は、「皆さんもどんどん提案し議論できたらうれしいです!」などと言いながら、その実は、自らが批判されていることには一切耳を傾けない、「あーあーあー聞こえないー」だ。

 

 

 藁人形論法や、自らの言葉の粉飾、「あーあーあー聞こえないー」はこのツイートでも同じだが、たかまつに向けられた暴言に対する抗議には、ある程度正当性があるだろう。ただし、たかまつがしたことの暴力性やトンデモさを考えれば、たかまつがスクショした言葉は、「クズ」、「こんな女」という言葉を除いて、おおむね許容すべき揶揄や非難だとも思うが。そういえば、この騒動が始まった頃から、たかまつに対する優生思想に絡めた批判が少なからず見られるが、たかまつは、この「たかまつなち」を除いて、それらすべてをスルーしている。真っ向から組み合うとまずいことが分かっているからだろうか。ついでだが、「姨捨なな」という揶揄も見たことがあり、個人的にはこれと「たかまつなち」はとても壺に嵌った。たかまつのツイートに戻るが、バッシングされると訴えることが、批判を封じるための手段として用いられることがあることにも注意が必要である。いわゆる被害者を盾にする行為の一種である。実際、この後さらに見ていくと分かるように、たかまつはこの卑怯な手段を多用するようになる。

 

 

 それこそ、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言うべきところだろう。…それで、高齢者の選挙権を著しく制限するという提言のどこが、「解決策がベストではない」と言うべき代物だと言うのだろうか。そんな話は一切しない。ひたすら論点逸らしだ。

 

 少し間があいて、この2日ほど後に、比較的著名な人にも同様のレスをしている。

 

 

 山口二郎にあえてレスをつけたのには、何らかの意図があるのだろうか。

 

 

 これは山口のことを指しているのだろうか。少しツイートをたどってみた範囲では分からなかった。しかしまあ、自らが高齢者一般を誹謗中傷する言説を垂れ流し、その選挙権を制限する提言までしたことを棚に上げて…。

 

 この25分後に、たかまつは、この流れとは少し別の流れになるが、若者に投票を呼びかける次のツイートをする。

 

 

 この動画は、見る気がしないので見ていないが、ついたレスやサムネイル画像から、高齢者を侮辱するような動画だと推測される。レスやハッシュタグから辿れるツイートを斜め読みしたところ、どうも3年ほど前にたかまつの会社が作成した動画で、外国の動画のパクリらしい。「誹謗中傷は本当にやめてほしい」「目の前に人がいることを想像して書いて下さい」と書いたその指で、25分後にこの動画をあげるとは、いやはや…。

 

 このツイートには、批判的なレスが多くつき、騒動の発端となったツイートと同じくらいになっている。炎上の炎が再び燃え上がったということだろう。そして、翌日のツイートで、その炎はさらに燃え上がる。

 

 

 嘘つけ。高齢者の選挙権を制限しろと言っているではないか。こうして嘘を混ぜながら、批判封殺メソッドを用いてくる。世代間格差という言葉を、その内実を掘り下げずに刷り込もうとしてさえいる。端的に言って卑怯だ。炎上も当然だ。

 

 

 差し詰め、ここはさすがに、申し訳程度にこう言わねば、といったところか。

 

 ひるがえって、たかまつは、しつこく「若者のためにどうすればいいのですか?」「子どもたちのためにどうすればいいのですか?」と言っているが、たかまつにそう言われたような人たちも、例えば山口二郎でも、多くの人たちは、この程度以上のことを若者たちや子どもたちのために言っているのではないか。それこそ、たかまつに、「検索して、いくつか読まれてから発信されてみるのはいかがでしょうか」とでも言わなければならないところだが。もちろん、たかまつのように、若者のために高齢者の選挙権を制限しようという、テロリスト的な熱意までは見せていないだろうが。

 

 

 まだ言うか。厚顔無恥の大嘘つきめ。

 

 そして、収束しない炎上についに我を失い、取り乱したのか、たかまつが新たなトンデモを繰り出し、それも炎上する。

 

 

 このトンデモさは説明不要だろう。あるいは、ポカーンとか、アボーンとか表現すべきか。

 

 

 はい、藁人形論法。どうぞ、「私の生い立ちや経歴をバッシングしてくる人」を屏風から出してくださいませ。そして、出た、批判封殺メソッド。差し詰め、このトンデモで、可哀想な被害者ポジションをとり、批判封殺メソッドのツマにでもしたかったのだろう。しかしまあ、本当にそれが微塵でも通用するとでも思ったのだろうか。頭が痛い。多様な価値観を認め、自由な言論を大切にする立場の人が、高齢者の選挙権を制限する提言を批判するのは当然だ。それを「叩きのめす」とまたまた藁人形論法。つくづく卑怯だ。

 

 

 はいはい、藁人形論法。だから、どうぞ「私の生い立ちをバッシングする人」を屏風から出してくださいませ。

 

 

 

 比較的著名な人から批判されたからか、自分の誤りを認められない性格なのか、まさしく妄言に妄言を重ねてくる。当事者に失礼なのはどっちか。人の話を切り取って、貧困に苦しむ人をさらに追い詰める話に変換しようとしているのはどっちか。そもそも、そんな話をしなければならない状況を作り出しているのはどっちか。もはや、そう思うなら、お前が黙れと言わなければならない。池田香代子も実質同じことを言っているが。被害者を盾にする卑怯な批判封殺メソッドを多用した結果、当然の報いを受けた形だろう。

 

 そして、こんなおまけまでついてくる。

 

 

 

 はてさて、本当に「誤字」なのか。もはや、これも極めて怪しく思えてくる。本当に「誤字」であっても超ド級のトンデモなので、そうでない場合のトンデモさが薄れてしまうのが、いやはやなんともだが…。だいたい、駅のトイレで寝泊まりできるのかよ。警備の目をかいくぐって。

 

 

 これで、約1週間続いた、たかまつの「余命投票制度」騒動はようやく終息した。ちなみに、少し労力を使って、ここから現在までのたかまつのツイートを斜め読みしてみたが、たかまつがこれらを考えたり取材したりした答えはまだ語られていないように思う。高齢者の貧困について取材した形跡も見つけられなかった。参院選の3日前に、性懲りもなく次のツイートをしてはいるが…。

 

 

 あと、記事の中ほどで見た、高齢者を侮辱していると推測される、若者に投票を呼びかける動画も、参院選の1週間ほど前にもツイートしている。つい最近も、1月18日にツイートしている。

 

 あと、他にも最近では、こんなツイートもしている。

 

 

 「半年ぐらい」―つまり、この炎上の後ということだろう。この、被害にあって沈んでいたが、田原のおかげで頑張れるみたいな言い草は、やはり、自分のしたことと真摯に向き合って考える気はないということだろう。

 

 田原との経緯については、別の記事で書くことになるかもしれないし、ならないかもしれない。一言で言えば、くだらない馴れ合いだ。