日本の政治的に「左」とされる人たちの多くは、北欧の経済政策をめざす方向の一つにあげることが多い。で、先日、そういう人たちの一人であるkojitakenさんの日記のコメント欄で、私は、条件が違い過ぎるので、日本がそのまま北欧をめざすのは難しいんじゃないかな?ってコメントをした*1。その時、書きながら、やっぱり、なんで難しいのか、ある程度きちんと書いた方が良いなあ、できれば、じゃあどうすれば良いのかも書くべきだよなあ、と、思った。ということで、今回は、こんなタイトルの記事。………実は、そのコメントから、随分、時間が経っている。考え始めてから痛感したのだけれど、話が大きすぎる。本が書けるくらいの話だよね。でも、書きますって宣言してしまったし…。まあ、とにかく手がつけられるところから始めるしかないか…。
ということで、まずは、大雑把な、というよりも、むしろ、イメージの話から。「北欧」って、どういうイメージなんだろう。その確認から。
まず、高福祉。医療や高齢者福祉は無償のイメージがある。実際はどうなんだろう。それから、高い国民負担率。所得はほとんど政府にもっていかれてしまうイメージがある。スウェーデンなら7-80%くらい。この辺までは、教科書にものってそうな話。それから、高い国民所得。国民一人当たりGDPが世界5位以内くらいのイメージ。ということは、産業の国際競争力が高い。kojitakenさんは、その秘訣として、競争力が見込まれる分野に集中投資がされていると書いていた*2。それから、世界の良心のようなイメージ。ノーベル賞とか、昔からPKOに中立的立場で積極的に参加している*3とか、ODAの対GDP費が高いとか、女性の社会進出が進んでいるとか。あと、デンマークなんかは、風車がいっぱいあって、環境にやさしいイメージがある。それから、フィンランドなんかは、良い教育をして、国民が全体的に、経済的にも政治的にも社会的にも優秀ってイメージがある。大体、これくらいかな。
簡単にまとめると、うまく工夫して良い財やサービスを生産し、誰でも安心して幸せに暮らすことができるようにする。大事なのは、誰でも安心して幸せに暮らせるってことで、そのためには高い税金も厭わない。それから、世界に対する良心も忘れない。こんな感じかな。
で、北欧ではこんな良い国が実現しているのだからそれを目指そうよっていう「左側」の人たちに、それは難しいような…って言うのが、私の立場ということになる。
なんで難しいのかって言うと、一つは、実は北欧には資源に恵まれている国が多い。昔、北海油田とか、キルナの鉄鉱石とか習ったよね。で、少しwikipediaなんかを見たけれども、ノルウェーやデンマークは、今でも北海油田の恩恵を受けているみたいなんだよね。スウェーデンだって、まだ鉄鉱石は産出されているみたい。他にも鉱物資源には恵まれているよう。この辺、石炭さえほぼ枯渇した日本*4とは、やはり大きく違うのだろうね。生活や生産活動に必要なものが自分の国から「出てくる」のと、自分の国に必要な分以上に価値を作り出して、それと交換で必要なものを得るのとでは、やはり国民の生活を豊かにするために必要な労力に大きな差があるよね。
もう一つは、人口の違い。日本の約1億2千7百万人に対して、北欧は、ノルウェー約5百万人、スウェーデン約9百万人、フィンランド約5百万人、デンマーク約6百万人*5。人口が1千万人を超える国はない。日本の人口は、北欧で一番人口の多いスウェーデンの約14倍もある。多くの人の生活を豊かにしようとすると、それだけ多くの財やサービスを生産しなければならない。そのための工夫も難しくなる。これもやはり、それだけ必要な労力に差があるってことだよね。
だけど、これらは簡単に反論されてしまう。1990年前後の日本の国民一人当たりGDPは、確か世界5位以内だったでしょって。で、GDPって、1年間に国内で新たに生産された財やサービスの合計でしょって。難しいも何も、その点については、出来てたじゃんって。
これに対して、必要な労力に差があるってことが、実際に、平均労働時間の差として出ているでしょって再反論できるかもしれない。日本の平均労働時間が少しは減ったのに合わせるように、国民一人当たりGDPの順位が落ちてきたようにも見えたりもするしね。
でも、私が、kojitakenさんの日記でコメントをした時に考えていたのは、こういうことではない。kojitakenさんは、日本には、正しい努力・労力は、当然、必要だって言いそうなところがあるしね*6。
じゃあ、どう難しいと言いたいのかというと、ちょっと藁人形論法になるんだけれども、日本の「左側」の人たちが、その立場との矛盾を生じさせずに、北欧のような経済政策をめざそうとするのは、難しいんじゃないかな?ってことになる。藁人形ってのは、日本の「左側」の人たちの立場ってのも、北欧の経済政策ってのも、私のイメージするそれらってことだから。でも、これが難しいかどうかを考えることは、私にとっては大切なことになる。なぜなら、日本の「左側」の人たちの立場も、北欧の経済政策も、両方、私が好感を持つものだから。この2つが両立するのなら、それに越したことはない。まあ、日本の「左側」の人たちの立場には、私にとってそれほどこだわらなくてもよいものあるし、北欧の経済政策は、私にとって経済政策全般というよりも特に再分配政策や社会保障制度なんだけどね。でも、だからこそ、北欧の再分配政策や社会保障制度をめざすために改めなければならない立場があるかどうかを考えることは、大切だと思う。
ということで、私のイメージする日本の「左側」の人たちの立場とは。
まず、社会的弱者の側に立つ。だから、差別をなくさなければならないし、困った人に手を差し伸べなければならないし、強者や多数者が弱者や少数者に犠牲を強いることを許さない。それから、平和主義と国際協調主義。憲法9条と前文の理念を崇高なものと考え、それがより行きわたることを求める。それから、基本的には資本主義の枠から出ようとはしない*7。あと、「ものづくり」を重視する。これは、従来、運動の中心的担い手が大手製造業の労働組合であり、日本が工業立国であって、自分たちや日本が豊かになることについて、「頑張って良いものをつくるから、その分、豊かになってよい」という心理が働くからじゃないのかな*8。まあ、こんな感じかな。
さて、ここまで来て、ようやく、自分自身、少し整理がついて、この後、書いていく方向が見えてきた気がする。読む人も、「ああ、そのタイプの批判ね」って思っているかもしれない。ちなみに、この後、資本主義の高度化とグローバル化ってのがキーワードになる予定。この記事も、結構、長くなったし、方向が見えたとはいえ、この後を完成させるのも、私にとっては、かなり時間がかかりそうなので、この辺で、いったん、記事として上げておこうと思う。
それから、この記事を書いている最中に、一人当たりGDPなどについての、とても参考になりそうな資料を見つけた。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/document/2010/200902/02.pdf
調べてみると、『国際比較にみる日本の政策課題 総合調査報告書』という報告書の一部で、国立国会図書館の調査及び立法考察局ってところが出しているらしい。続きの参考にしようと思っている。先に紹介しますので、興味をそそられた方は、ぜひ、ご覧くださいませ。
それから、ここまで読んで、素人があれこれ無駄に時間を使うより、これを読めば良いよって、紹介してくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ、よろしくお願いいたします。
*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120815/1344989166#c1345073831
*2:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120815/1344989166#c1345048762
*3:ただし、少なくとも2000年頃までは、日本の「左翼」の中心である「護憲派」は、自衛隊がPKOに参加することに、強く反対していた。
*4:実際には、石炭は、コストと品質を考えなければ、まだ日本にも十分あるらしい。また、一応、書いておくと、日本でも石灰石だけは豊富に産出されている。私が在住する山口にも石灰石が豊富な山と、それを精製・加工する工場と、それらを積み出すのに適した港がある。
*6:「浜矩子氏の『老いらく国家』を批判する」というタイトルの記事(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120420/1334880799)などから感じること。この記事でkojitakenさんは、スポーツのライバル関係になぞらえて、「ポジティブな競争」を積極的に肯定している。ちなみに、これに対して私が、kojitakenさんは南北関係的な視点から日本をどう見ているのか? 星野と長嶋は成長してああなったのか? というコメント(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120420/1334880799#c1334961367)をして、それに対してkojitakenさんが、「suterakuso氏の『神経に障るコメント』を批判する」というタイトルの記事(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120421/1334964351)を書いた。これらは今回の伏線だったりもする。また、この批判記事を受けて私は、その少し前に超左翼おじさんのコメント欄に書いたコメント(http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-1128.html#comment9794)を書き直して、「スポーツについて思うこと」というタイトルの記事(http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20120421/1334979119)を書いた。
*7:厳密には、資本主義とは、社会主義や共産主義と対置される一方の極であって、「資本主義の枠」という用法は誤りだといえる。しかし、多くの人が、漠然と、「社会主義国とは違う資本主義国」というイメージを持ち、それがその人たちの思考の枠組みを形成している、という現実がある。私は、この現実を問題としたいので、あえてこういう書き方をする。
*8:この最後の2文を日本の「左側」の人たちの立場としてあげることが、まさしく藁人形論法ではないかと、この時点で感じる人がいて当然だと思うが、それに対しては、「はい、そうです」と答えざるをえない。この記事を書くことで自分の考えを整理しながら分かったことだが、私は、まさしく「左側」の人たちのなかでもこういう傾向を感じられる人の、こういうところを叩きたいのである。しかし、やはり実際に、こういう傾向が感じられる人は多いのではないか。なので、似ても似つかぬ藁人形を叩いていることにはならないのではないか。