「『「お前のは誹謗中傷!私のは正義の批判!』って奴、相当認知が歪んでないと出ないでしょ」と言う人こそ「正義の暴走」をする

 この記事を書くことにしたのは、次のように、私を名指したタイトルの記事を書かれ、さらにそれに少なくないブックマークがついたからだ。

 

shiori115.hatenablog.com

 

 まずはこの記事の筆者Shiori115なる人物を、私がどのような人物ととらえているかを書きたい。それがことの経緯の説明にもなるだろう。

 

 私は次の記事のブコメ欄で、はじめてこの人物をはっきりと認識した。

 

koshian.hateblo.jp

 

 私自身は、この記事に次のブコメをつけた。

 

suterakuso "「反差別」を掲げるような人に限って差別的な言動を止めないという現象は割とよく見る"←虎を屏風から出して下さいw/動物の幸福追求権考えると差別は程度問題と分かるw/アファーマティブアクションは不公正w

 

 この記事は、川口市議会でクルド人に対する差別的な意見書が可決されたことに関連があるものだ。この意見書に賛成した立民市議を米山隆一が擁護し、それを主に「リベラル」や「左派」とされる人たちが批判している。この記事は、雑に要約すると、「動物の幸福追求権」という思考実験を用いたり、サンデルやドラッガーを引用したりして、米山隆一を擁護しようとするものである。私は、上のブコメのとおり、この記事の主張はおかしいと考えるが、ここでは、それには深入りしない。今から取り上げる人物との関連では、上のブコメにも引用しているが、記事の冒頭に、次のように書かれていることがポイントとなる。

 

「反差別」を掲げるような人に限って差別的な言動を止めないという現象は割とよく見る。

 

これを見て私は、また「正義の暴走ガー」かと思ったのだ。差別を前に、繰り返し同じことを言うことを止めない人は当然いるだろう。強い言葉や罵倒表現を用いる人も当然いるだろう。っで、差別って、それでしょ? それ、 差別ですか?と。

 

 さて、ここで、この記事に件の人物が次のようにブコメをつけた。

 

Shiori115 "「反差別」を掲げるような人に限って差別的な言動を止めないという現象は割とよく見る" 「暇アノン」だの「壺」だのの根拠ゼロのレッテル貼りも平気でしますからね。そういうのが既にここにも湧いてきてますが。

 

 これを見て、私は、自分のブコメに次のタグを付け足した。(コメント自体は100字に達しているので、ブコメでしか書く手段がないからだ。最近は、この方法をよく用いている。ちなみにタグは10文字しか書けない。個数は10個まで付けることができる。)

 

暇アノン壺根拠ゼロw

 

いちおう説明すると、暇アノンとか壺とかは、なぜそのレッテルがつけられるのかが分かりやすく、誤認も少ないものの代表だろう。それに根拠ゼロとは、随分、その言葉を用いる人たちへの敵対心が強く、また、客観的な認識ができない人だなと思った。あるいは、とりあえず敵認定した相手を貶めることができれば、自分の主張の正確さなど気にしない人なのだろうなと。もちろん、その言葉を用いる人たちへの敵対心が強いのだから、反フェミで反ポリコレ、反リベラルで反サヨクなのだろう。

 

 この後、以下の順で、この人物のブコメを目にしてきた。記事の埋め込みリンク、この人物のブコメ、私のブコメの順で示していく。

 

www.sankei.com

Shiori115 女性の隣人の騒音が酷くて迷惑していたとしても騒音被害を訴えることと女性差別が違うのは当たり前。川口の現地で迷惑を被った人にとってはそれがクルド人だっただけで、差別問題にすり替えるのは卑劣なだけだね。

suterakuso そもそも産経の<独自>記事に書かれた在日クルド人に不都合な証言をそのまま真に受けるの?/恐れるべきは無能な味方とかよく言う人は、射殺とか国籍剥奪して追い出すのが良いとか言う人が味方でよいのかなー。

 

anond.hatelabo.jp

Shiori115 都知事選での「R」シールぺたぺたや演説妨害に紙屋氏の件で市民連合共産党のヤバさを改めて認識したって感じでしょうか。左翼の先鋭化が顕著。紙屋氏の件では非共産党員のはてサも流石に黙らざるを得なかった。

suterakuso 中道が増えただけ、極右極左キツいのはみんな嫌い、的なのこそ、排除の論理同調圧力でキツい態度だよ。恐ろしいまでの。よくそれに無自覚でいれるね。そして、自民に代表される「保守」にとって好都合な態度だね。

 

news.yahoo.co.jp

Shiori115 私も別にそれぐらいはいいだろうと思うけど、女性政治家を同じように配したポスターを「おばさんの詰め合わせ」と評したらどうなるかを考えれば、批判されるのは仕方ないでしょうね。既に今までそうしてきたものね。

この記事に私がつけたブコメはここでは関係ないブコメに対してつけたものなのでコピペは割愛する。

 

togetter.com

Shiori115 いかにもはてサが好きそうな人だけど、はてブではまだ認知度が低そうですね。はてサの皆さんにはぜひこの機会に覚えておいてほしい逸材ですよ。

suterakuso 昔、赤木智弘氏と喧嘩して、この恩知らずめと言っていた人という印象しかない。/id:Shiori115 いきなり強烈な党派性の自己紹介しなくても…。お勤めご苦労様です的な人かもとまで思いたくなる。

 

togetter.com

Shiori115 フェミニズムという名の性嫌悪・男性嫌悪に脳を焼かれた人間の末路がいかに哀れかよくわかると思います。自分の価値観だけを正義と信じ、そこから外れるものに対して無自覚に差別やヘイトを振りまいてしまう。

suterakuso 奇異な考えの自称すらしてない人をフェミニストガーて言ってるってこと? そりゃ、反フェミって認知歪んでるってことになるよ。id:Shiori115とか。/はて、id:red_kawa5373みたいなの批判する真の保守こそ見ないけどw

 

 ご覧のとおりで、第一印象のとおりの人物だということが確認できる。そして、最後の2つについては、最初に私がこの人物を認識したブコメ

 

根拠ゼロのレッテル貼りも平気でしますからね

 

という言葉が見事なまでのブーメランとなっており、すさまじく卑怯な形で反反差別的な扇動をする人だなと感じた。よって、その扇動を少しでも抑えるべく、idコールをして、直接批判したのだ。

 

 そして、この人物がさらにどんな扇動をするのかとブコメを見ていると、次の記事を書いたことを知らせるセルクマが目に入った。

 

shiori115.hatenablog.com

 

タイトルで名指しされているmusashinotanという人も、やはり、私がはっきりと認識したのは、最初にあげたKoshianX氏の記事のブコメ欄でだと思う。そして、反差別の立場から激しく、差別を正当化する人たちを罵倒する人だなと思っていた。

 

 記事を読みに行くかどうかは読者の判断にお任せするとして、私は、この記事に次のブコメをつけた。

 

suterakuso digits_saという人に対して以外は、レッテルは妥当で、あとは罵倒表現の是非だな。どれも立場や被害妄想を拗らせて頓珍漢なこと言っている人に対してだからね。いや、もっとよい突っ込みあるやろって部分は多いけど。

 

 すると、この人物は、自分のブコメに、次のように、後半部分を付け足した。

 

Shiori115 id:musashinotan によるメタブでの侮辱に関して、必要と思われる情報をまとめました。/ さっそくお仲間がシュバってきた。"立場や被害妄想を拗らせて頓珍漢なこと言っている人" musashinotanのことですね、わかります。

 

 そしてさらに、件の私を名指しした記事を書いたのだ。記事には、私が、musashinotanという人が使ったレッテルや罵倒表現すべてを妥当だと考える、面白い人だという表現がされている。マウント仕草である。しかし、ブコメのとおり、私は、レッテルは妥当と書いたが、罵倒表現については是非が分かれることを含んだ書き方しかしていない。けれども、この人物が、このように人を侮辱し嘲ることを是とする態度を露骨に見せたのを見て、上のブコメに、

 

↑じゃ罵倒も問題なし

 

というタグを付け足した。細かいことで、時系列的に分かりにくいことだが、この人物の卑怯さを確認するために、いちおう記しておく。たった100字のブコメさえ、印象操作のために歪曲したり切り取ったりする人物なのだ。さらに、先にあげたフェミニスト関連のToggeterに私が付けたブコメを取り上げ、suterakusoは、Shiori115がフェミニストを自称していない人にフェミニズムというレッテルをつけたことを、認知が歪んでいると言った、しかし、suterakusoは、Shiori115が自称していないレッテルをShiori115につける、面白い人だ、とも書いている。いや、なぜ「奇異な考えの」という文言がついているか文脈を考えろよ。ほんと卑怯な人間だ。まず、理解力だけの問題ではないだろう。

 

 これを受けて私は、次のブコメをつけた。

 

suterakuso いや、あなたたち、ザ・反フェミ、ザ・差別主義者、ザ・キャンセルガーでしょ。あれのどこが、ザ・フェミ? そういう風に、対称として不適当なものを対称することこそ、まさに頓珍漢。根拠? 根拠だらけじゃん。

 

ちなみに、最初は上のように書いたが、その後、こちらの方がよりしっくりくる表現かなと思い、「ザ・差別主義者」のところは、「ザ・反反差別」に書き換えた。そして、「実質差別主義者てこと」というタグをつけた。タグは、何度も書き直しているが、それをすべて覚えていないし、あまり関係がないので、他にどんな書き換えをしたかは割愛する。ただし、「例:石井孝明に黙まり」というタグを最終的につけていることには触れておきたい。人に根拠ゼロとか卑劣とかヤバいとか言いながら、自分こそ根拠などどうでもよい恐ろしく卑怯な人間であることを端的に示すために。

 

 そして、さらに、自分の言動や、musashinotanという人の罵倒表現、この人物の卑怯さに思いを巡らし、ここは、そもそものことを書く必要があるなと思い、次のタグを付け足した。

 

正義なく人を批判すな

 

私にとっての正義とは、ごく素朴なもので、人権であり、生命だ。人権とは、自由、平等、幸福追求権、個人の尊重などだ。そして、それは、状況を踏まえながら、何がそうなのか、常に自問し続けなければならないものだと考える。それでも、間違った考え方をすることも当然あるとも考える。しかし、人の行為はそれがどのようなものであろうと、必ず、人に、社会に、影響を及ぼす。その責任を考えるならば、やはり、自分のあり方の基準となる正義は何かを自問し続け、その時々に出した答えに基づいて行為しなければならない。まして、他者を批判したり、さらには、目的が何であっても、攻撃したり、侮辱したり、嘲ったりするとなると。別に大したことはない、それだけのことだ。しかし、重要なことだ。

 

 KoshianXという人の記事のところで書いたように、私にとって、「正義の暴走ガー」というのは、うんざりするほど見飽きたと感じる、「リベラル」とか「左派」とか、あるいは「共産党」とかに対する批判だ。よって、このような人物にこのタグのような言葉を提示すると、「出た、正義の暴走ガー」と言い出すことも、当然予想できることだ。それに対して私は、違うよ、それは正義を喪失しただけだよと答えるし、正義とはそんな硬直したものではないよと答えるし、そもそもそれは人権であり、生命であり、それを第一に考えることだよと答えるまでだ。これも、やはり別に大したことではないし、ああ、そのパターンねと思われることだろう。でも、あえてそれを表明し、そういうあり方を示すことは、大切なことだと思う。今回は、特にこのあり方を示す時だと思い、このタグをつけた。

 

 さて、ということで、この人物は、記事に追記を加え、鬼の手を取ったかのようにこのタグを取り上げてはしゃいでいる。そして、私以外にもこの記事を読んだ人が少なからずいるようで、最初に書いたように、少なくないブコメもついている。その中で一番☆を集めているのが、次のブコメである。

 

「お前のは誹謗中傷!私のは正義の批判!」って奴、相当認知が歪んでないと出ないでしょw

 

 これに対して私は、こう返したい。

 

「『「お前のは誹謗中傷!私のは正義の批判!』って奴、相当認知が歪んでないと出ないでしょ」と言う人こそ「正義の暴走」をする。

 

タイトルにした言葉だ。これは、記事の中ほどであげた、『はてなの勢力図が変わってきた?』という増田記事に私がつけたブコメに関係がある。もう一度コピペする。

 

suterakuso 中道が増えただけ、極右極左キツいのはみんな嫌い、的なのこそ、排除の論理同調圧力でキツい態度だよ。恐ろしいまでの。よくそれに無自覚でいれるね。そして、自民に代表される「保守」にとって好都合な態度だね。

 

「自由からの逃走」だ。そうしたあり方から抜け出してほしい。「人間は自由の刑に処せられている」。

人間は自由の刑に処せられている

人間は自由の刑に処せられている