読書メモ 稲葉 剛 著 『生活保護から考える』(岩波新書)

 前々から、読書メモって、ブログの活用法として有効じゃないかなって思ってたんだけどね。その手始めとして、稲葉剛著『生活保護から考える』(岩波新書)について書いてみようと思う。

 この本を手にした理由だけど、なんか最近、いわゆる「底辺」の人たちと社会との関わりってどうなんだろう?って思うところがあって…。 「底辺」の人たちってのは、犯罪者とか、犯罪予備軍とか、生活保護受給者の一部の人とか、ホームレスの人とか、子どもだと、児童養護施設や障害児入所施設の子どもたちとかのことかな…。っで、どうなんだろう?ってのは、最近のことで言うと…そんなに最近のことでもないけど…、一つは、たしか、自転車の後ろに赤ちゃんを乗せた母親が、渋滞道かなんかを、車の間をすり抜けながら無茶な横断をして、まさかそんな横断をしている自転車がいるなんて思わずに流れ沿って走っていた車に衝突して、転倒して、赤ちゃんが亡くなってしまうという事故の後のことで…。その記事についたツイートとかブコメとか見てると、もちろん母親をおもいっきりディスるものだったり、車の運転手の身になって「なんて災難…」ってものだったりが多かったんだけど…。それを見て、なんか、〜〜こんな母親のいる世界を自分たちの世界から切り離して、どっかにやってしまいたい〜〜そんな情念を、すごく感じてしまったんだよね。それから、もう一つは、鳥取の障害者施設で入所者の部屋に鍵をかけて閉じ込める虐待があったって見出しのニュースがあって、それに…これもツイートだけど…、たしか「年越し派遣村」の時に湯浅誠さんとともに注目された、首都青ユニオンの河添誠氏が、「信じがたい虐待(怒)。」とだけつぶやいた*1のを見つけて、…これ、すぐに障害者の人権問題ってだけじゃなくて、施設職員の労働問題の可能性も高いなって感じたんだけど…障害者に他害や異食があるってこととか、日中活動や散歩はしているってこととかが書いてたからね…、それなのに、虐げられた若い労働者たちの味方、河添誠が、「(怒)」とかつけて、「悪者を叩く正義の味方!のポーズをとるだけ」って、なに? ひょっとして河添とかの「底辺」の人たちとの関わりって、ヒット・アンド・アウェイなんじゃない? だから、こういうときに働くべき感性が働かないってことなんじゃないの?って感じてしまったんだよね。っで、じゃあ、「私たちの社会」の、誰が、「底辺」の人たちと関わってるんだろう?って思って…。そんな時に、この『生活保護から考える』ってタイトルで、岩波新書で、出版年も2013年で新しくて、ってのを見つけて、手っ取り早いかもしれないってことで、手にしたわけ。

 っで、いざ読もうと著者紹介を読んで初めて気がついたんだけど、この著者は、湯浅誠さんといっしょに、「自立生活サポートセンター・もやい」を設立した人なんだよね。だから、あら、これじゃ、湯浅誠さんのような人とか、その仲間っぽい河添のような人とかの、客観的な実像は分かんないんじゃないのかなって思って…。でも、せっかくなんで、読んだんだよね。っで、読み終えての「もやい」についての、湯浅さんや稲葉さんについての、評価は、やっぱり、「底辺」に近い人たちのそばで大切なことをしている人たちなんじゃないかな、やっぱり、全然、悪くなんて言えないな、ってものだった。もちろん、本人語りを見てなんだけどね。でも、それを割り引いても、嘘は書いてないだろうし、こんだけのことをしているのなら…と。…ま、河添のことは分からないけど…。

 この本、著者の立場を最初に明記して書かれているんだよね。生活保護に対するマイナスイメージが広げられていること、それに便乗する形で「安倍政権」が生活保護制度の「見直し」を進めていることが書かれて、そして、次のように書いているんだよね。

この本はそうした社会や政治の「流れに掉さす」ことを目的として書かれています。
pp.iv

いわゆる「中立的」な立場から書かれたものではありません。制度やその利用者に対する誤解や偏見に満ちた言説が社会に満ち溢れる中で、肩身の狭い思いをさせられている当事者に近い視点から、生活保護問題の全体像に迫ろうとするものです。
pp.v

っで、もちろん、安倍政権の生活保護制度の「見直し」が、いかによくないかが、いろいろ書かれているんだけど、それと対照的に持ち上げられているのが、実は、民主党政権…おそらくその中でも鳩山政権期だけ…なんだよね。例えば、生活保護に暖房費などの「冬季加算」があるのに冷房費などの「夏季加算」がないことについては、次のように書いている。

当時の長妻昭厚生労働大臣は、同年九月の記者会見の席で、「夏季加算」新設を検討すると明言しました。その後、「夏季加算」新設の話は長妻氏の退任とともに雲散霧消してしまいましたが、現行の生活保護基準が必ずしも充分ではなく、今の水準では利用者の生命と健康を支えることができないことを担当大臣が認めたことの意義は大きかったと考えます。
pp.6

それから、「老齢加算」廃止についての節では、

小泉純一郎政権下では、十八歳以下の子どもを持つひとり親家庭生活保護世帯に支給されてきた母子加算も二〇〇五年から段階的に廃止されました。母子加算は二〇〇九年四月に完全廃止されましたが、その年の九月に発足した民主党政権は、同年一二月から母子加算を復活させました。母子加算の復活は民主党政権における貧困対策の「一丁目一番地」と言われましたが、その一方で、同じ小泉政権下で廃止された老齢加算の復活が議論にのぼることはありませんでした。
pp.11-12

って、民主党政権生活保護の見直しは不十分だったけど、自民党政権より随分ましだったように書かれている。それから、これって著者の自画自賛も入っているよねって思うけど、

 民主党政権下の二〇〇九年一二月から翌年六月まで、厚労省で「ナショナルミニマム研究会」が開催されました。貧困問題を専門とする研究者だけでなく、雨宮処凛(作家・反貧困ネットワーク副代表)や湯浅誠反貧困ネットワーク事務局長)といった社会活動家も委員として選任されました。「ナショナルミニマム研究会」は一〇回、会合を開き、二〇一〇年六月に「中間報告」を発表。「ナショナルミニマムは国が憲法二五条に基づき全国民に対し保障する『健康で文化的な最低限度の生活』水準であり、最終的な保障責任は文字どおり国が負っている」ことを確認したうえで、「今後は社会保障を『コスト』ではなく『未来への投資』と位置付ける」という方向性を示しました。
 しかし、この研究会は「中間報告」を発表した後は一度も開かれることなく、現在に至るまでも解散も宣言されない、という異常な状態が続いています。民主党政権の変質とその後の自民党の政権復帰により、ナショナルミニマムをめぐる議論は封印されてしまったのです。
pp.37-38

というのもある。(ところで、雨宮処凛って、「作家」で「社会活動家」だったのね。)あと、自民党の日本型福祉社会というパラダイム…その背後には、「家族の絆」という問題のある物語があるんだけど…それは、また後に書くけど…に対して、

民主党政権下で進められた「社会保障と税の一体改革」は、本来、こうした日本型福祉社会からのパラダイムチェンジを図ったものでした。
pp.127

なんてことも書いている…でも、結局、妥協して後退したって書いてるけど…。…なんか、前に、こんな↓エントリーを書いたことがあるんだけど…

『民主党なんて信じない』

…なんか、少し、民主党を見直したぞ。…って、著者も、でも、民主党変質したって書いてるけどさ。ま、やっぱり、著者とか湯浅さんって、党派性があるってことなのかな? でも、それは別に活動の価値を棄損するものではないよね。

 っで、「私たちの社会」の、誰が、「底辺」の人たちと関わってんの?っていうことについては、最初に書いたように、「ふつうの人たち」でもなくて、ヒット・アンド・アウェイの「弱者の味方」でもないんだろうな?って感じてたんだけど…、だから、普段、一番彼らに接する人たち…生活保護だと市町村のケースワーカーの人たちなんだろうなって、思ってたんだよね。でも、彼らは、生活保護受給者からも「ふつうの人たち」からも「弱者の味方」からも悪者にされているのではないか…ちょうど障害者施設の職員が、虐待者としてみんなから悪者にされているように…でも、障害者施設の職員って、いつも親身になって、障害者と関わっているんじゃないの?…だから、ケースワーカーもそうじゃないの?…そんな予想をもって読んだんだけどね…。結論から言うと、著者は、全体的傾向としては、そのように見ていない。傾向としては、「水際作戦」、有名な「北九州方式」、のような傾向があると。ま、職員の人間性が悪いからそんなことをするなんてことは書いてないけどね。ちなみに、著者は、厚労省は、憲法・法律に則った「表のシステム」と「北九州方式」に代表される「裏システム」の使い分けをしている、そして、安倍政権は、ついに「裏システム」を「表」化しようとしだした、と書いているんだよね。っで、話を戻して、この本で描き出されたケースワーカーの実態には、がっかりさせられたという気持ちと、うーん、やっぱりそうなのねというか気持ちが合わさったような気持ちにさせられた。でも、絶対、ここが肝心なんだよね。「ふつうの人たち」は関わりたくないんでしょ? どっか別の世界にしたいんだよね。だからって、「弱者の味方」のボランタリティだけに任せていいわけないじゃない。だったら、絶対、ここを分厚くすべきなんだけどな。っで、その分厚い支援のもとに、「ふつうの人たち」にも支えらて自立していく。それが大切なのに…。もちろん、それは、著者も訴えているんだけどね。

 っで、生活保護の受給者たちと一番きちんとした関わりを持つべきなのは、やっぱりその人たちの家族なんじゃないの?って思う人も多いかもしれない。でも、著者は、それは現実的ではないし、個人の尊重をうたう憲法にも反すると、強く主張するんだよね。その通りだと思う。ここでは、印象的な一節まるごとを紹介したいな。

 生活保護世帯の高校生の声
 ここで、扶養義務問題の当事者である生活保護世帯の高校生の声を紹介したいと思います。
 二〇一三年六月一四日、衆議院第一議員会館で開催された生活保護法改正案に反対する院内集会の場で、進行役を務めていた私は、九州に暮らす高校生からいただいたメールを読み上げました。
 その前の週、私は生活保護法改正問題を取り上げたテレビ番組のインタビューに応じ、親族の扶養義務を強化することの問題点を指摘しました。その直後、私はその番組を視聴した高校生からメールをもらいました。そこには「生活保護世帯の高校生として国会議員に伝えたいことがある」と書かれていたため、私は彼女に集会に向けたメッセージを書いてもらい、その文面を国会議員も参加する集会で読み上げたのです。
 母子家庭で暮らす彼女は、かなり複雑な事情のもとで育ったようです。「私の人生は普通の高校生が送ってきた人生とはかなりかけ離れていると思います。恐らく想像もつかないでしょうし、話せば同情、偏見様々な意見があるでしょう」と彼女は言い、自分の親を恨んでいると書いています。
 専門学校に進学するためにアルバイトをしている彼女は、「高校は通学に一時間半かかる高校に通っていて朝は四時半に起きて弁当を作り、学校帰りにそのままバイトに行き、帰宅するのは二二時頃。勉強もありますし家事をしたりで寝るのは〇時か一時」という生活をおくっています。
 生活保護制度について「おかしい」と思っているのは、アルバイト代が世帯の収入とされて差し引かれてしまうことと、扶養義務についてです。
 アルバイトについて、彼女は「高校生のバイト代が生活費として差し引かれるのは当たり前のように思われていますが、学校に通い成績上位をキープしながらバイトをするということがどれだけたいへんなことか分かって頂きたい。そしてバイトをするのは決して私腹を肥やすためではないことを」と言います。
 彼女の不安は自分の将来にも及びます。高校時代の奨学金の返済は八四万円になり、専門学校に進んだ場合、さらに二○○万円以上かかる見込みだと言います。そして、親元から離れ、経済的に自立したとしても、親が生活保護を利用している限り、福祉事務所、親族としての扶養義務の履行を求められることになります。
 「専門学校も奨学金で行けばいいと言われますが、専門学校卒業後、高校の奨学金と専門学校の奨学金を同時返済しさらには親を養えと言われる」
 「私はいつになれば私の人生を生きられるのですか。いつになれば家から解放されるのですか」
 「子が親を養うことも当たり前のように思われていますが、それは恨んでいる親を自分の夢を捨ててまで養えということなのでしょうか。成績は充分であるにもかかわらず進学は厳しいというこの状況はおかしいのではないでしょうか」
 メールの最後に彼女はこう訴えています。
 「私がどうしても伝えたいことは生活保護受給家庭の子供は自分の意思で受給しているわけではないということです。生活保護への偏見を子供に向けるのはおかしいです。不正受給ばかりが目につき本当に苦しんでいる人のことが見えなくなってはいませんか。選挙権がない私には国を動かす方々を選ぶことができません。だからこそ生活保護受給家庭の子供について国を動かす方々にはもっと考えていただきたいと思います。」
 彼女は生活保護世帯の子どもたちのほとんどが沈黙をせざるを得ないなか、「私の意見を広めることで、同じ生活保護受給家庭の子供が意見を発するきっかになれば」と言っています。
 国会議員のみならず、日本社会に生きる私たち大人はこうした子どもたちの訴えに真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。
pp.110-113

でも、それなのに、自民党政権は、生活保護バッシングをしかけ…片山さつきだけじゃなくて、世耕もなんかやったんだってね…、扶養義務の強化をすすめようとしているって著者は告発している。自民党は2012年2月に「政策ビジョン」というのを発表したそうなんだけど、著者はそれから、

 この政策ビジョンがめざす「自助・自立を基本とした安心できる社会保障制度」像を一部引用してみましょう。
 「額に汗して働き、税金や社会保険料などを納め、また納めようという意思を持つ人々が報われること。また、不正に申告した者が不当に利益を受け、正直者が損をすることのないようにすることを原点とする」
 「『自助』、『自立』を第一とし、『共助』、さらには『公助』の順に従って政策を組み合わせ、安易なバラマキの道は排し、負担の増大を極力抑制する中で、真に必要とされる社会保障の提供をめざす」
 「家族の助け合い、すなわち『家族の力』の強化により『自助』を大事にする方向をめざす」
pp.121

と、引いて、

「家族の助け合い」、「自助」を最優先に置き、「公助」の役割を最も後回しにする発想は自民党の「党是」とも言えるものです。
pp.122

って、まとめているんだよね。これって、生活保護家庭の人たちを…不条理につらい思いをさせられている人たちをふくめて…「私たちの世界」から切り離して、自分たちでやってね、「別の世界」だからね、だからお金もださなくていいよねってことだよね。