転載 (みをつくし語りつくし)勝部麗子さん:10

 第10回、いよいよ最終回です。まずは、登録なしで読めたところまでの転載です。

http://digital.asahi.com/articles/ASJC875H9JC8PLZU00M.html?rm=1122#Continuation

(追記)この記事を紹介しているページに画像ファイルがあったので、下にそのURLを付け足します。
http://www.access-town.com/image/free/20161124100726.jpg

神田誠司
2016年11月24日11時40分
■コミュニティーソーシャルワーカー
■「8050問題」注視
 去年8月、大阪府豊中市内で50代の娘さんが玄関先で亡くなっていて、80代のお父さんが奥の布団の上で白骨化しているのが見つかりました。
 お父さんの方がずいぶん先に亡くなって、暑い盛りだったので、娘さんは熱中症で倒れたんじゃないかとされています。ご近所の話では、病弱だったお父さんを娘さんが介護していたようですが、なぜ死亡を届けなかったかは分かりません。扉の向こうにどんな苦しみがあったのか今では知ることができません。
 ここ数年、80代の親と独身の50代の子が同居する世帯が、様々な問題を抱えながら社会から孤立して暮らしているケースが目立つようになりました。
 ある50代の男性は認知症の親の介護のために離職しましたが、ひとりで抱え込んで精神的にも経済的にも追い詰められていました。
 子どもに知的障害があったり、ひきこもっていたりする場合もあります。共通しているのは年金など親の収入で暮らしが成り立っていることです。2年ほど前から私たちは「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ぶようになりました。
 従来の見守り活動は、こうした世帯を対象にしていませんでした。介護する子どもがいるから、という理由です。でも去年夏の父と娘の死亡を受けて、その小学校区の民生委員さんや地域のボランティアと話し合い、地域で気になっていた世帯をアポなしで訪ねる「ローラー作戦」を去年11月から始めました。この取り組みはいま、15の校区に広がっています。
 昔なら、高齢になった親の面倒は子どもがみるのが普通でした。でも、いまは雇用の非正規化で親の方が経済力がある場合も多く、認知症の高齢者も増えています。今後、いっそう増えると予想される「8050問題」にどう対応していくか。大きな課題だと思っています。
■マンションの福祉、課題
 豊中市では市社協が住民と一緒に小学校区単位で福祉のセーフティーネットを張ってきました。でも、その網から抜け落ちてしまいがちな人たちがいました。それがマンションの住民でした。
 千里ニュータウンを抱える豊中はマンションが多い自治体です。市全体の世帯数に占めるマンションなど集合住宅の割合は63%に達しています。しかも千里ニュータウンの開発初期に建設されたマンションでは、65歳以上の入居者が6割を超えるなど高齢化が著しく、孤独死の問題も起きていました。
 ところが、校区の住民の9割以上がマンション住まいなのに、校区福祉委員会の役員は戸建て住民ばかりで、マンション住民が1人もいないという校区もあって、マンションを福祉の網にどう取り込めばいいか、ずっと気になっていました。

以下、登録が必要な部分の要約です。

●そこで、マンションの管理組合の役員ら約100人に参加してもらい、「マンションサミット」を開いた

●「名簿がないのでどんな人が住んでいるか分からない」「自治会がなく、コミュニティーが生まれない」とか、「災害時の安否確認が不安だ」「マンション内でふれあいサロンをしようにも集まる場所がない」といった声が相次ついだ

●私たちコミュニティーソーシャルワーカーは、これらの問題の解消のための支援も進めている

●オートロックの向こうと地域をつなぎたい、そう願っている

●3年前の秋に、何度訪問しても会えなかった65歳になるごみ屋敷状態の一人暮らしの男性が亡くなるということがあった

●訪問するたびに一言書いて名刺を扉に挟んでいたが、いつもなくなっているそれがなくならず、不安になり、市の担当者とドアをこじ開けたことで発覚した

●几帳面に男性が訪問日と時間を書いた名刺が玄関の下駄箱の上に置いてあるのを見つけて、無念で3日間涙が止まらなかった

●先日はホームレス状態から抜け出して就職し、大丈夫だと思っていた20代前半の男の子の自死の知らせを聞いた

●私には一つ一つの死が社会への遺言に思えてならない

●4月から、会社を定年退職した男性たちを塾生として、「豊中あぐり塾」という農業と地域福祉を学ぶ塾を始めた

●地域につながりのなかったお父さんたちが、地域に居場所をつくり、仲間づくりをする場になればと思った

●ボランティアでは少数派である男性が、ボランティアデビューする端緒になればとも思った

●塾が始まって2カ月で、50人の方がボランティアデビューし、地域の中に役割を見つけ始めている

●最後に、ソーシャルコミュニティーワーカーの醍醐味について話をすると、それは人が変わる瞬間に立ち会う喜びがあることだ

●支援される側だった人が支援する側に変わるケースを何度もみた

●そもそも支援される側、支援する側という枠組みは固定してなく、支援する側がいつ支援される側になるか分からない

 最後の2段落については、できればそのまま紹介したいので、どうかご容赦をと思いながら、そのまま転記します。

 この夏、一人の男性の地域葬が行われました。彼は脳卒中の後遺症で半身まひの50代。アルコール依存があり、電動車椅子に乗って街に出て、お酒を飲んでは倒れることを繰り返していました。近所の人たちは、初めのうち彼を「困った人」と感じていました。そんな中、住民からの連絡で、私たちの支援が始まりました。
 「働きたい」という思いを実現するために何度も訪問し、彼が様々な「困っている問題を抱えている」ことを知ります。病気による失業、重いローン、肉親の死。彼の事情を知る中でみんなの心に優しさが生まれ、その優しさが彼を前向きに変え、ついに就職にまでつながりました。地域のサロンで彼の就職祝いをしました。排除されていた彼は、地域の中で包摂され、ひとりぼっちではなくなっていったのです。そんな彼が突然の病で死んでしまったのです。
 優しい地域葬が手作りで行われました。就職を支援した役所の人や、日常を支えていたヘルパー、民生委員。いつも心配していた住民。お経をあげたのは、彼の姿に共感していた友人の住職でした。彼を支える人が地域に増えていった。ここに私は、この仕事の醍醐味を感じています。
 私たちは、人生をあきらめかけている人とたくさん出会います。「そんな人たちを私たちがあきらめてしまっては彼らの未来はない。だから私たちはあきらめない」。そう心に決めてまた地域の声なき声に向かっていきます。

 記事の担当者、神田誠司記者の「取材後記」も要約しておきます。

●多忙な勝部さんに何度もインタビューして伝えたかったのは、豊中市のような福祉の取り組みが、あなたの住むまちでもできる可能性があるということだ

●もちろん突出したリーダーである勝部さんの存在は大きいが、コミュニティーソーシャルワーカーを中心にした地域福祉の取り組みは広がっている

●ただ地域福祉の主役はあくまでも住民で、私たち住民がかかわっていく自覚を持たなければ地域福祉は育っていかない。


 ここまで決して短くないこの連載の紹介を読んでくださった方がもしいらっしゃったら、うれしく思います。