財政を家計に例えるなら…

 ブログを始めることにしました。
 さっそくですが、財政を家計に例えるなら…というのを、私なりに考えてみました。財政を家計に例えるなら…というのは、朝日新聞の十八番なんですが、いつも何だかなあと思うので、対抗して考えてみました。
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 ある大家族がいます。この大家族は、家族みんなを働きやすくしたり、安心して暮らせるようにしたりするための仕組みをつくっています。この仕組みにお金がいるので、みんなでお金を出しあうことにしています。

 この大家族のみんなには、お金になる仕事とあまりお金にならない仕事が割り当てられることになっています。でも、家族のみんなは、それは仕方がないと考えています。だって、頑張る人がお金になる仕事をするようにすれば、みんな頑張るもんね。
 それで、この大家族には、とてもお金持ちな人と、生活が苦しい人がいます。なかには、借金をしている人もいます。

 さて、この大家族に大問題が発生しました。家族のための仕組のお金が足りなくなったのです。というか、大借金です。だから、「出しあうお金をもっと増やして、借金をなくそう」と主張する人が出てきました。「自分たちが生きている間に借金を返さないと、無責任だ」という人もいます。

 ところで、この大家族は借金まみれなのかというと、世界でも稀なお金持ち家族です。
 え? でも、大借金なんでしょって? いえいえ、家族のための仕組みが、大借金なだけです。
 言っている意味が分からないって? う〜ん、つまり、家族の仕組みのために、家族のなかのお金持ちの人に、お金を借りているんです。利子付きで。家族全体では、世界でも稀なお金持ちです。

 じゃあ、もう借金をちゃらにすればって? 家族でしょって? お金持ちの人は家族のための仕組みのおかげでお金持ちなんでしょって?
 そうですね。それもいいかもしれませんね。

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 ご意見くださいませ。

そもそも

 今、財政危機とか金融危機とか騒がれているけど、そもそも、財の生産やサービスの提供が止まったり減らなければ、本当は問題ないはずなんだよね。で、本当は、お金とか金融とかなくても資源と労働力さえあれば、うまく工夫すれば、財の生産やサービスの提供は止まることも減ることもないんじゃないかな? どうなのかな?
 これって、資本主義とかそういう問題なんだろうね。これぞ経済の問題!なんだろうね。

スポーツについて思うこと

 スポーツが規範と結び付くのって、すごく危険だと思う。
 スポーツって、現実の中に、ある意味バーチャルな世界を作り出して、現実では体験できない(あるいは体験できてはならない)ものを、体験できるっていう側面があると思う。 へたに現実の中で体験できるから、そこで体験できるようなことこそ、真実、価値あるもの、みたいにとらえて、そこに必要な態度・規範を、本来の現実世界に持ち込み、周りをまき込んでいくような人たちっていると思うけど、危ないと思う。

 どういうことかというと、まず、スポーツって、勝ち負けをはっきりさせるとか、敵味方を分けるとか、ルールをはっきりさせるとか、複雑でいろいろな事情のある現実の社会では、そんなにすっきりさせられないことをすっきりさせた、仮想の現実の上に成り立っているって側面があるということ。
 それから、勝利や記録など、目標を所与のものとして、その目標に対して自己を合理的に管理する態度を育む側面があるということ。 これは、「そもそもなんのため?」と問う態度が育まれていないと、案外けっこう危険だと思う。…自分だけでなく他人にも、「○○のためだろ!」と要求するようなことにもなるし。 将来、社会人になって、「会社のため」とか言って、それを社会のみんながやって、社会主義のいう資本の論理による人間疎外、みたいなことにつながる面もあると思う。…勝ち負け思考とか、敵味方思考が広がっていると、なおさら。
 ちなみに、スポーツって、とくに部活が頭にあるのだけれど、部活って、レベルがあがってくると、家族とかまでまきこんで、みんなであらゆる条件を整えて、部活だけに専念!みたいになってくる。多分、体育会系が就職で喜ばれる(まだそうなのかな?)ってのは、その、部活だけに専念!ってのを、仕事だけに専念!ってしてもらえればよい、という理由もあると思う。
 それから、日本の教育現場では、なんだかんだ言って部活が重要で、とくにいわゆる成績的に中間層以下の真面目な子たちの人間形成が、なんだかんだ言ってかなり部活でされているようにみえる。
 それから、日本では、部活や学校行事などで感動したり一体感を味わったりして、それを求めて教師をめざす子が多いから(別にそれ自体は悪いことではないけどね)、けっこう、勝ち負け思考や敵味方思考を無邪気に広げる超熱心な(自分の家庭をまったく顧みないほど超熱心な)先生が多いような気がする。…で、けっこう、こういう先生の態度は、将来先生になる愛弟子に、再生産される。
 それから、そういう人たちって、おうおうにして「プライド」にこだわる。…自称「練習だけは日本一」の部活が全国に大量にあるのは、ある意味その一例。なんか、自分たちがすごくないといけないんだよね。で、おうおうにして、他の人たちを見下すんだよね。

 ちなみに部活だけじゃない。進学校の先生は、自分の生徒が他の生徒に勝って志望校に合格して一緒に感動することをめざすし、実業校の先生は、自分の生徒が他の生徒に勝って就職を勝ちとって一緒に感動することをめざす。けっこう、自分の生徒だけに、スペシャルな、ほんといろんな意味でスペシャルな、方法を工夫しようとしたりしてまで。で、この子が喜ぶ分、泣く子もいるとか、あんまり考えないし、世の中全体として、どういう子がどういうところに本来行くべきかとか、あんまり考えない。これもスポーツ的な勝ち負け思考、敵味方思考じゃないかな、と思う。

 もちろん、これらは極端なモデルを描き出しただけだけどね。

 あと、それから、最近は、巨大スポーツの応援の非日常的な体験に昂揚感を見出して、その感覚を他の場面にも求めたがる人も多い気がするし。

新自由主義の定理(仮)

自分のための覚書。随時更新。

 

① 社会のリソースは限られており、報われる人間は限られている。

 (念のために、もちろんこれは、事実ではなく神話である。)

 

② 自分のために頑張る私は、報われなければならない。

 

①②の帰結として、

③ 他人のために頑張る人は、報われてはならない。

 →人のためという価値観への嫌悪。社会運動、「政治」活動※の敵視。

   ※ここでの「政治」には利益誘導は含まれない。

  必然的に、新自由主義者は野蛮と戦う人にタダ乗りする、フリーライダーになる。

 

①②③の帰結として、

④ 空気のように必要不可欠な労働力は、空気のように安価でなければならない。

 関連語句:エッセンシャルワーカー

 

②より、政府は堅実に頑張る私たちに報いなければならないとなり、その帰結として、

⑤ 勤勉で堅実な我が国民は、怠惰で野蛮な他国民より報われなければならない。

 

 

逆説的に希望を語れば、新自由主義は、フリーライドされる人間、つまり、人のためにという価値観を持つ人、社会運動を行う人、政治活動を行う人、エッセンシャルワーカー、差別や暴力と戦う人がいるからこそ成立する。こうした人たちの復権こそが求められる。

維新に代表されるシバキ主義や自民に代表される家族主義との決別を

 次の記事を見てになる。記事を見ていつものようにブコメをつけたが、これはもっと強く訴えねばと思い、ブログにも書くことにした。

 

www.asahi.com

訪問介護事業所「4割弱赤字」 基本報酬引き下げ巡り厚労省明らかに

有料記事

関根慎一 編集委員・清川卓史2024年3月10日 7時00分

 

 新年度の介護報酬改定で訪問介護の基本報酬の引き下げに反発が広がっている問題をめぐり、厚生労働省の直近の調査で訪問介護事業所の約4割が赤字だったことがわかった。同省は報酬を引き下げる根拠の一つとして、訪問介護の利益率がすべてのサービスの平均を大きく上回るデータを挙げてきたが、調査は小規模事業所を中心に厳しい経営を迫られる可能性を示している。

 新年度からの介護報酬改定では職員の賃上げなどのため、全体では1・59%を増額する。特別養護老人ホームなど大半のサービスでは基本報酬を上げる一方、訪問介護は減額することが決まった。引き下げる根拠として、同省は「経営実態調査」(2022年度決算)で、訪問介護の収支差率(利益率)が全体で7・8%となり、全サービス平均の2・4%を上回ったと説明していた。

 ただ同省が新たに明らかにし…

 

 再分配強化以外に介護を存立させる方法はない。維新に代表されるシバキ主義や自民に代表される家族主義*1とは決別すべきだ。加えて言うと、奴らは、利益誘導ばかり公で行い、公への忌避感を高めているから質が悪い。

前原誠司が盛山文科相不信任決議に反対したことを確認しておく。泉健太が本性を現すことを改めて警戒すべき。

 盛山文科相不信任決議のニュースは、私の見た範囲では、どれも、「自民・公明両党や日本維新の会など」の反対で否決されたと報じられていて、「など」に誰が含まれるのかを知ることはできないものとなっていた。ただ、今思い出そうとしたり確認しようとしたりしても、どれだったか分からないが、一連の報道の一つに、「前原も…」というようなレスがついているのを見かけた。しかし、その記事は、有料記事で読める部分が限られていて、読める部分では確認できなかった。そこで、他に前原のことを報じたものがないか探してみたが、その時には見つけることができなかった。その後も、時間がある時に思い出しては、前原が反対票を投じたことを確認できる情報を探していたが、今日ようやく見つけることができた。

 

 

 あまりにも予想どおりと言えばそれまでだが、すっかり前原は維新になりきっていることを確認すべきだろう。

 

 あわせて、ここで改めて警戒を呼びかけたいのが、立民の代表、泉健太が、前原と同様に本性を現す危険性についてである。私は政治家の人間関係には詳しくないが、wikipediaを見る限り、もともと泉は、京都で前原の下で政治家になり、民民の立民への分裂合流までは、一貫して前原と行動を共にしてきた経歴の持ち主である。前原と袂を分かったのも、たんに、前原が民主系分裂の戦犯として立民への合流ができないのに対して、泉はそれができ、落ち目且つ玉木代表のワンマン政党と化している民民に残るより、その方が自らの権力基盤を固めるのに有利だったからに過ぎないだろう。前原の民民離脱に際しても、泉の次のような言葉が報じられた。

 

yorozoonews.jp

 

 記事が削除された時のために、タイトルだけコピペしておく。

 

立民・泉代表 前原氏の新党立ち上げに「良い決断をした。気持ちはわからないわけではない」

 

 泉は、隙あらば、立民を維新側へとシフトさせようと狙っているのではないか。そんなことになれば、公正な政治を求めようとする有権者はさらに行き場を失うことになり、不毛な政治的混迷が深まることになってしまう。今が公正な政治へと近づく、絶好のチャンスだというのに。泉健太には、いくら警戒しても警戒しすぎることはないのではないか。(というか、早くそこを退け、の声を高めなければならない。)

田中良紹なる「ジャーナリスト」に猛烈に腹が立った(盛山正仁「教団関係者が揺さぶりをかけてきている」へのヤフコメについて)

 次の記事のヤフコメについてだ。

 

news.yahoo.co.jp

 

 Yahoo!ニュースはすぐに削除されるので、腹立たしい言葉だが、あえてコピペして残したい。

 

 まずは、元記事TBS NEWS DIGのリンクを貼っておく。

 

newsdig.tbs.co.jp

 

 記事のコピペは割愛する。

 

 それでは、件の田中良紹なる「ジャーナリスト」のヤフコメをコピペする。

 

1期目でぶざまな退陣をした安倍元総理がなぜ2期目の総理になれたのか。それは旧統一教会と手を組んだからだ。旧統一教会と父親の安倍晋太郎はズブズブだった。だが母親の助言に従い1期目の安倍元総理は距離を置いた。
2009年の総選挙で自民党は農協を除くすべての業界団体が民主党支持に回り野党に転落した。自民党は青ざめ業界は当てにならないと思い宗教票に頼ることにした。そこで自民党は安倍元総理を再び担ぎ上げ、旧統一教会と手を組ませた。安倍自民党の頭脳部分は経済産業省、選挙の手足は旧統一教会になる。そして創価学会票を持つ公明党と連立を組む。だから安倍政権下の自民党議員の選挙応援を旧統一教会がやるのは当たり前だった。旧統一教会は盛山大臣が自分たちに思い通りにならないからメディアに暴露した。盛山大臣は旧統一教会にとって敵なのだ。それを理解できずに旧統一教会に乗せられている野党とメディアはレベルが低すぎる。

 

 「それを理解できずに旧統一教会に乗せられている野党とメディアはレベルが低すぎる」ときたか。ふざけるな! お前はどんだけハイレベルなのかよ。「それを理解できずに」――そんなの、百も承知に決まってるだろうが。それも理解できずに「野党とメディアはレベルが低すぎる」とは、どんだけマヌケなのか。もはや、そんな賢しらな物言いでちょっとハイレベルぶるフェーズなんて、とっくに終わりだよ。なんなんだ、この「ジャーナリスト」を自称しながら、恐ろしく社会参画意識の希薄な態度は。今こそ、カルトの支配を終わらせるムーブメントの高まりが求められる時だ。ただそれに水を差すことで自己満足に浸るような「ジャーナリスト」なんて、統一教会とカルト自民とともに滅んでしまえ。